片恋模様 黒子ver.(※緑黒) 

        (※緑黒プチオンリー発行のアンソロジーに寄稿させて頂いた「片恋模様」という作品の続きになります。
        アンソロ版は緑間視点で、こちらは黒子視点+αです。)






        水泳の授業の後、更衣室を出た黒子はクラス合同の体育で一緒になる赤司を、
        身支度が終わるのを待ってから呼び止めた。
        「赤司くん。」
        廊下で声をかけられた赤司はさして驚いた様子も見せず、振り向いて黒子と目を合わせた。
        躊躇なくこちらを見つめてくる赤司の眼光は、釣り目がちでいつも鋭い。
        心の奥まで容赦なく全て読んでこようとする視線は相変わらずだが、今の黒子には気にする余裕がない。
        「・・・・・・ずいぶん顔色が悪いな。」
        「今の授業で、少しバテてしまったみたいで。」
        「隠れて休めば良かったじゃないか。テツヤならいくらでも気づかれないように出来るだろう。」
        手品のように消える、現れる。
        長所とはおおよそ言えない黒子の存在感の薄さを、バスケットコート上で利用価値のあるものとした赤司は
        こちらを茶化しているのかよく分からない口ぶりで話す。
        「部室の鍵を貸してください。静かな所で少し休みます。」
        「保健室には行かないのか。」
        「消毒薬の匂い、あまり好きじゃなくて。昼休みは騒がしくなりそうですし。」
        そう答えた黒子は次の瞬間、背後から突然大きなタオルを被せられ、頭部を鷲掴みにされた。
        「黒ちん、髪の毛ビシャビシャだよー?」
        間延びした口調は紫原だ。
        荒っぽく髪を拭いてくる大きな手は、指の力も加えられて荒く揺さぶってくる。
        ただでさえ立ちくらみを繰り返していた黒子には、決定打だった。
        「敦、やめなよ。本気で悪そうだ。」
        「・・・・・・ハーイ。」
        紫原を制した赤司は、黒子の手首を掴んで脈を測る。
        「吐き気は?」
        「・・・・・・ありません。」
        「大丈夫だとは思うけど、少し眠るといい。今日は部活も休んでいい。」
        赤司はバッグの中からキーケースを取り出し、黒子の手に鍵を乗せた。
        「・・・ありがとうございます。」
        「敦は悪さしたお詫びに、部室まで介添えを。」
        「うん、分かった。黒ちんごめんねー。」

        そこから、部室のソファに下ろされるまでの間はあまり覚えていない。
        「あんまり酷かったら桃ちんに連絡したらいいよ。」
        紫原が去っていったあと、寝かせられた窓際から立ち上がって、誰にも邪魔されぬよう内鍵をしたことは覚えている。
        部室内は少し蒸し暑かったが、空調をつけるのは風邪をひきそうで、窓を開けるのも億劫で
        黒子はソファの肘かけに頭を預けたまま、起き上がることができなかった。
        プール上がりの身体がやけに重たい。
        額の奥、まぶたの奥から外に出たがるようなひどい頭痛もあるが、横になると幾らかやわらいだ。
        窓際から寝返って眺める、誰もいない部室内の風景。
        縦長ロッカーとホワイトボード、歴代の優勝トロフィーの飾られた大きなキャビネット。
        隣の資料室とミーティングルームへ続く扉が奥に見える。
        見慣れた室内の様子に少し心を落ち着かせた黒子は、時計のアラームもかけず、しばしの眠りに就いた。



        次に目覚めたのは、誰かが入口の鍵を開けて歩いてくる足音が聞こえた時だった。
        いつの間に放課後かと、寝過ごした時間を考えて焦ったものの
        壁時計の針はまだ午後の早い時間帯を示している。
        頭痛が治まっているのに気付き、薄く目を開けて入ってきた人物の輪郭を探れば、
        黒子は何度も見てきたその背中を見間違わない。
        緑間だった。
        入室してから一直線にロッカーへ向かい、ガタガタと音を立てて中を物色している。
        背高なその後姿を、窓際で横になったままぼんやりと見つめていた。
        表情は伺えないが少し苛立っているのが分かる。

        「あの。」
        黒子が呼びかけた声に、背後を振り返った緑間は眼鏡をかけていなかった。
        見慣れぬ素顔、その上、眉をひそめてこちらを睨めつけるような目線を寄越してくるのはどうしたことか。
        不機嫌にみえる視線を避けて黒子は起き上がり、脱いでいた上履きに足を入れながら問いかける。
        「眼鏡、どうしたんですか。」
        「・・・・・・・・・フレームが折れて、とても使えたものじゃないのだよ。」
        「え、」
        「今しがた体育で折った、・・・・・・幸いレンズは無事だが。」
        「それは、・・・・・・不便ですね。スペアあるんですか?」
        「だから今探している。ロッカーに予備を置いてあったはずだが、なければ家だろう。」
        眼鏡のない緑間は返事をしながら黒子のいる方向を目で伺っているようだったが、やがて諦め、視線をロッカーへと戻した。
        人事を尽くす、が口癖の緑間にしては珍しく不運に見舞われたものだと思ったが、口には出さない。
        黒子は立ち上がり、気温の高くなった室内の空気を入れ替えようとレースカーテンを潜り、ガラス戸に手をかける。
        開けた途端に流れ込んでくる渇いた風を受けて、寝起きの頭がようやく覚めてくる。
        「探し物、見つかりそうにないですか。」
        「本当にあるかどうかも定かじゃない、しかもよく見えん。」
        「良ければ僕が探しましょうか。」
        「いらん、」と緑間には断られたが、目を細めて見づらそうにしている姿を見てしまえば、助けた方が早い。
        黒子がロッカーの方へ近寄り、なかば強引に距離を詰めれば、緑間は顔をしかめ驚いた様子で立ち退く。
        眼鏡のない素顔は、視力の弱さに加え押しの強い黒子の行動に、少し戸惑っているように見えた。



        気難しい面の目立つ緑間とは、他の同学年の部員に比べて打ち解けるのが遅かったように思う。
        チームメイトとして認められているのか、いないのか。
        互いに口数が多い方ではないため、言葉を交わす機会が少なく、どう思われているのか正直よく分からなかった。

        最初に気になったのは、欠かすことなく念入りにシュート練習をしている後ろ姿だった。
        距離感が掴めないほど異常に高いループを描き、長い滞空時間をかけて、打たれたシュートは外れることがない。
        強い肩から放たれるボールには初速度があり、かなり遠方からでも容易くゴールに届いているように見える。
        ネットが小気味いい音を立てて揺れるのを何度も、己を追い込むように生真面目に練習する後ろ姿を何度も、
        黒子は信じられない思いで見ていた。
        正面で向き合って話した回数より、背中を見てきた回数の方がきっと多かった。

        少しして、青峰や赤司と関わるうちに垣間見えた、テーピングを解いた緑間の左手の爪先は綺麗に整えられていた。
        シュートタッチを気にして普段の生活から指先を完全に保護している。妥協は許さない、万が一の怪我も不調もない。
        体格に恵まれ、才覚もあり負けず嫌いな、のちにキセキの世代と呼ばれるレギュラー陣の中で
        加えて神経質でありひたむきだった緑間のバスケに対する姿勢は、またもや黒子の気になる所となった。
        組まれた練習メニューが重なった日、ただ一瞬でも、バスケに没頭するその視界に自分が映ることがあったなら、
        それは嬉しいことのような気がした。

        黒子が1軍入りし学年が上がり、人懐こい黄瀬が部員に加わってからの今、たわいもない会話は格段に増えている。
        桃井と青峰の口喧嘩に巻き込まれている後ろで、黄瀬と話している緑間の声がする。
        赤司からレギュラー陣への招集の声がかかり、姿を消していた紫原がやってきて、こっそりと間食の菓子を手渡してくる。
        とりとめのないことが楽しい。皆で頑張って勝てたら嬉しい。
        日々、思いは強くなっていた。


        「・・・・・・これじゃないですか?」
        黒い眼鏡ケースは荷物の物陰に隠れていて、そう苦労もせずに見つかった。
        ロッカーを横目に振り向けば、緑間は黒子の背後にずっと立っていたらしく、身長差のまま斜めに見上げる形になる。
        手渡してすぐ予備の眼鏡を身に付けた緑間を見て、一瞬驚いた。
        それは黒子がまだ1軍に上がるより以前、遠巻きにしていた昨年の緑間の顔だった。
        「少し度が合わんが、何も見えないよりずっとマシだろう。」
        目の前にいる黒子から視線を逸らしながら、緑間は見慣れぬ眼鏡のブリッジをあげた。
        「・・・・・・良かったです、素顔のキミは若干弱っているように見えたので。」
        こちらをチラリと見て、またすぐに目線を脇にやった緑間は、黒子が手に持ったままだった眼鏡ケースを素早く掠め取った。
        見上げた横顔は、視力を取り戻してなお何故かまだ戸惑いが残っているようだった。
        「その古いスペアをかけている頃はキミとあまり話したことがなかったので、今と印象が違いますね。」
        「・・・・・・去年までかけていたものだが。」
        「知っています。昇格テストに受かるまでキミと喋った事はありませんでしたけど、
         青峰くんと、緑間くん、紫原くんは1年の頃から目立ってましたから。」
        黒子の言葉を聞きながら、緑間は黙ってロッカーの扉を閉める。

        「1年の頃のキミと喋っているみたいで、ちょっと面白いです。」
        黒子を横目に、憮然とした表情で見下ろす緑間だったが、機嫌を悪くしたわけではなさそうだった。
        「・・・・・背が伸びたくらいで、他はそんなに変わっていないと思うが。」
        「それでも、結構嬉しいです。」
        「・・・・・・。」
        「何だか去年をやり直しているみたいで。」
        あの頃話しかけられなかった背中が、振り向いたような錯覚で。
        黒子は意図せず笑みをこぼして、正面に見上げた緑間は小さくため息をこぼした。








        浅い眠りから覚めた黒子は、帰りの電車内で軽く伏せていた顔を上げる。
        人のまばらな車両内で、日暮れの窓の景色が横へ緩やかに流れていく。
        車掌のアナウンスから、目的の駅まであと2駅と知れた。
        隣で読書をしていた緑間が、目を開けた黒子に気付いて視線を寄越す。
        「ようやく起きたか。」
        黒子は座ったまま小さな動作で首を回し凝りをほぐす。乗車駅から数えれば、眠っていた時間はそう長くなかった。
        「少し、夢を見てたみたいです。」
        「だろうな、口元が笑っていた。」
        「・・・・・・そういう時は起こして下さい、あとから恥ずかしいんで。」
        「どうせ俺以外誰も気付かん。」
        緑間は新書に視線を戻して答えた。
        「・・・・・・まだ、頭がふわふわします。それになんだか嬉しい気がする内容でした。」
        「夢の中で嬉しいのも、気分が良くなるのも、悪くはないのだよ。それは好運の前兆だ。」
        「夢占いまで、出来るんですか。」
        「ただ気分が良すぎて、もう一度夢の中へ帰りたいと思うのは良くないが。」
        「いえ・・・、そんな風には思いません。」
        緑間の話を聞きながら、黒子は断片的な在りし日の思い出に気分を良くした。




        「キス、してもいいですか。」
        降車後に駅を出て、緑間の家へ向かって歩きながら黒子が呟く。
        「何だいきなり。」
        思い切り嫌そうな顔で、黒子を見下ろした緑間と目が合う。
        「だってキミ、外でするの嫌いでしょう。」
        「・・・ずいぶん知ってる風な口を利くな。」
        「知っています。昔からキミを見てましたから。」
        夕闇の路地で、緑間は険しい表情のまま立ち止まらない。
        「今の僕はすこぶる機嫌が良いので、夢の続きを・・・・・・したいんです。」

        緑間はいつも、ベッドの上でしか黒子を抱こうとしない。
        押し倒される側の負担を気にするのか、手足を伸ばせない狭い場所ではけして衝動的になろうとしない。
        口づけに煽られて、その先を欲張るような展開になるのがどうにも厭らしい。
        だから組み敷いて抱けない場所では、深く口づけもしない。

        しかめ面の横顔と問答をしながら歩いていれば、すぐ緑間宅に到着してしまう。
        「やっぱり駄目ですか。」
        諦めの言葉を口にした黒子だったが、表札を過ぎて玄関のドアを開ける寸前、
        無言だった緑間から肩を掴まれ、触れるだけのキスを仕掛けられた。
        そのまま招き入れられた黒子がドアを閉めるのを、緑間は靴を脱がず、電気も点けず、待ち構えるように見ていた。
        「・・・・・・さっきは聞かなかったが、お前の夢に出てきたのは俺か。」
        「そうです。」
        掴まれた肩先の布地を正して、黒子が答える。
        「ならば夢の解釈は二通りある。」
        「それも夢占い、ですか。」
        「・・・・・・相手に充足感を得てなおより良い進展を望んでいるか、それとも現状に不満があるか、どっちかだ。」
        緑間が最も信頼する分野に半端に踏み込んでしまったのがいけなかったのか、
        往来で強請られた口づけに余裕をなくしたのか。部屋へあがれば寝室があるのに、玄関先で。
        「今から、じっくり聞きだす必要がありそうだな。」
        「・・・・・・・・・、」
        黒子の下腹部からシャツを抜き出し脇腹を這い上がってくる緑間の長い指は
        テーピングの巻かれた左手と、体温を直に感じる右手とで、感触が違う。
        少し冷たい指先に身体をビクつかせた黒子をなだめるように、緑間は胸元を撫ぜてくるのですぐに息があがってしまう。
        「・・・っ、ずいぶん・・・・・・性急ですね、」
        「お前こそ、こうなると分かっていて強請ったのだろうな?」
        暗い玄関でドアの内側に押さえ付けられ制服を乱す黒子の腰元で、鍵を締められる音がする。

        「・・・・・・じゃあ、より良い進展の方を、お願いします。」
        再び、緑間が背を曲げてキスを落とす距離と、キスを受けるのに黒子が背伸びした距離は同じだった。
        それはあの日からの二人が近付き、縮めた距離と同じだった。