開花宣言(※緑黒) 







        通過列車が通り抜けるホームで、耳につく雑音に慣れた頃、訪れる静寂。
        黒子の雰囲気は、そういう切なさを含むものによく似ている。
        そういうものなのだから。
        気付いてしまえば、周りが言うほどに見逃すようなものではない。


        緑間にとっての、特別を意味しているらしい表現は、黒子を戸惑わせるものだった。
        率直な表現で恋われた覚えは無い。好きか嫌いかも無い。
        ただ今まで誰からも言われた事の無い言葉で、黒子が傍にいることを良しとしているらしかった。
        遠回しのようでいて、その言葉は黒子をほどよく拘束する力を持っていた。
        互いに言葉足らずな性質も手伝ってか、ほとんど感覚で、好ましいと思えば一緒に下校をしたし、
        気が向けば食事の時間を合わせたりした。付かず離れずでも、打てば返る事が多かった。
        時折気まぐれのように、唇が降りてきては被さった。

        緑間の行動はひどく分かり難い、よっていつも強引に思えた。
        説明されればおそらく筋が通っているのだろうけれど、どんな行動も突発的に思えた。
        だから黒子には、欲情した緑間が分からなかった。
        だから先週末、ひどく唐突に、緑間に抱き崩されてしまったように思えた。

        緑間からすれば、黒子に触れてくる回数が増えていて、
        ふいに抱き込んできたりする時の深さに兆候を見せていたし
        段階を踏んで、充分に期は熟していたのかもしれなかった。
        しかし気付けなかった黒子側からすれば、心も身体も、準備など一切出来ていなかった。

        保健室のベッドの上で。ぼんやりと天井を見上げていた黒子は、
        あの日、宙に浮かされたままの足先を、見つめる事しか出来なかった自分を思い出していた。
        緊張のあまり何度も漏らした嗚咽と、汗ばんだ身体、自分が出した信じられないほど高く濡れた声音は、
        緑間の脳裏にもまとわり付き、記憶に新しいままだろう。
        あんな恥辱に震えた、自分の姿は思い出すに耐えない。
        あれでは、緑間の方が良かったのかも分からない。
        黒子の四肢の動きを制限してしまった彼の体温は、最初からずっと熱いまま、
        切羽詰まってどうにもならないようだった。
        はしたなく膝を割り開かれ、跳ねる自分の爪先と。
        食らい尽くさんばかりに覆い被さって来る彼の、優等生然としてよく切り揃えられた前髪が
        場違いなほど綺麗に揺れるのを、ただ見ていた。

        出来ることなら全て、互いの記憶から消してしまいたかったが、もうすでに事は起こってしまった。
        散々に翻弄された後の休日、一日寝込んでようやく登校した黒子が
        どんな顔をして会えばいいのか分からないまま、緑間と鉢合わせする羽目になったのは
        つい先ほどの事だ。



        疲労の残っていた身体を横たえ、いつの間にか眠ってしまった黒子は
        扉の開閉する音で、再び目を覚ました。
        夕闇が降り、外灯に照らされた校庭が、部活の終了時刻であることを告げている。
        寝崩れた前髪をかきあげ、薄ら冷えた寝汗をぬぐう。
        音の立てないよう慎重に、仕切りのカーテンを寄せた緑間は、目覚めた黒子に気付き近付いてきた。

        「部活、終わりましたか。」
        「・・・・・青峰と黄瀬は、いつも通り居残ってるがな。」
        上半身だけ起き上がった黒子に、冷えたスポーツ飲料のボトルが差し出される。
        「どうも。」
        「礼などいらん、お前の体調不良は全て俺のせいだ。」
        ほのめかさず事実を告げられ、黒子はボトルの飲み口に唇を宛がったまま硬直した。
        「・・・・・フン。顔色はマシになったほうか。」
        気まずい空気を散らすよう、緑間は黒子の荷物一式をベッド脇へ下ろした。
        緑間にぶつかった際、廊下へ落としたままのものを持ってきてくれたらしかったが
        礼の言葉は飲み込む。


        「お前は、雨の日の方が気配が濃くなるだろう。」
        やはり脈略のない、緑間の言葉。

        「・・・・・意味がよく分からないですが。」
        「分からなくていい。他に気付いてるヤツがいなければ、尚更だ。」
        黄瀬に気付かれたら、今より一層煩わしい。
        青峰は気付いてやってる節があるので、更に厄介である。
        そんな内容の事を、緑間は淡々と語る。

        「お前は普段こそぼやけているが、周りが傘を差した途端、浮き上がるように
        よく分かるようになるのだよ。色々と。」
        「・・・・・・。」
        「だから、そういう日に付け込んだ。これ以上は俺が保たなかった。」
        眠りに就く前に緩めたYシャツの首元に、緑間からの視線が注がれる。

        薄く色づいた痕跡。
        そこから薫る先日の残り香を、今、黒子は撒き散らかしている。
        たまらず目を細め視線を外した緑間は、眼鏡に触れながら、何時もの苛立った表情をみせた。
        その憤りは、黒子にというより、抑えの効かなかった自分を叱咤しているようだった。

        「キミの、そういうよく分からないところが、好ましくあるし、鬱陶しくも感じます。
        例えば、僕は今日一日、キミの姿を探してたんですが。」
        「黄瀬やら青峰やらがお前にまとわりついてる日は、・・・・・たいてい運勢が悪い。」

        確かに、青峰は辞書を借りに来た、黄瀬は何度か顔を見せた、けれど。
        「それで近付いて来ないとか、キミはバカですか。
        黄瀬くんが僕に構ってくるのは、青峰くんへの対抗心からです。」
        「フン、それだけであるものか。」
        「そうでなくても、彼らを引っぺがす権利がキミにはあると、僕は思っていたんですが。」
        「・・・・・・・。」
        人目に付く場所で黒子に構うような態度を見せるなど、緑間には出来ないのだろう。それでも。
        「僕たちはどうも、お互い言葉が足らな過ぎると思います。」

        「緑間くんはどうしたいですか、次。」
        ベッド脇に佇んだまま、珍しく言葉に詰まった緑間を、首が痛くなりそうな角度で見上げ、探る。
        普段、理知的な緑間からは考えられないような、ほんのわずかな葛藤が透けて見えた。
        「・・・・・お前。」
        途中、言い淀んだ緑間は、挑むように仰ぎ見ていた黒子を、一瞬だけ睨み付ける。
        「これ以上、俺を焚き付けるつもりか。」
        正面から落ちてくる影を、伸び上がる背筋と唇で塞ぎ、返事とした。

        「次は・・・・・少し、休ませてください。」
        離れ、わずかに開いた互いの唇の隙間で、黒子は要求する。
        「さすがに、キミほど体力ないんで。」
        為すがまま追立てられ、好き放題にされてしまった雨の日の事を思い出し、
        改めて生じる羞恥心を誤魔化すように舌を合わせる。
        そんな黒子の内情を汲み取って、小さく開かれ、赤みを増す淡い色の隙間を舐め取って、
        「善処する。」
        「・・・が、あまり俺を待たせるなよ。」
        緑間は、不敵な笑みを浮かべた。









        
緑黒は、梅雨の時期が大変だ。主に黒子が。