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              延長線 







        青峰が分かった風な口を聞くのは気に食わなかったが、とにかく一言謝ってこいと促され
        少し遅れて屋外へ出た黄瀬は、黒子の姿を探した。
        テニスコート脇のフェンス、裏門へ向かう坂道、セミの鳴く校庭の新緑樹。
        遠慮なく照りつける直射日光に晒され、目を細めて辺りを伺うも
        昼下がりの白んだ景色の中に黒子は見当たらない。
        校舎へ続くアスファルトには、蜃気楼のような蒸気が立ち昇っている。
        体育館と隣接している屋外プールからは、水泳部員達の派手な水飛沫の音が聞こえていた。

        このまま諦めて戻れば青峰に叱咤される事は確実だろうな。と思案していると
        頭上の太陽が、夏特有の白く厚みのある雲に隠れる。
        淡く、くすんだ色の日陰になった周囲一帯。影の失われた昼下がりの時間が訪れた。

        プールの水飛沫に紛れ、体育館脇の水場の方から水音が聞こえている。
        そこはまだ探していない、更衣室を過ぎた先の場所で。
        砂利の敷かれた脇道を、木製の簀の子づたいにガタガタと音を立てながら移動すると、
        黒子は誰も居ない水道で、蛇口に身を伏せ、頭ごと突っ込んで濡らしていた。
        普段は冷静な黒子らしからぬ粗暴な動作に、思わず足が止まる。

        陰影のない昼の奇妙な時間帯に、黒子は佇んでいた。
        曇り空よりはずっと明るい、太陽を隠す白い雲は今も青空を泳いでいる。
        相変わらず、こういう境界のぼやけた風景の中に紛れ込むのが上手いな。と感じた。

        黒子は片手だけで横髪を掻き分け、口の中を軽くゆすいでから、蛇口のコックをひねり水流を止めた。
        そこで黄瀬は近付き、水道脇に置かれていたタオルを手に取り
        髪の毛からあご先まで濡れている黒子へ手渡す。
        黒子は睫毛に水滴を溜め、細めた目で黄瀬を確認し、タオルを受け取る。
        「・・・・・仲直り、しよう?」
        「自分が悪かったと、思ってるんですか。」
        目元の雫を拭き取っている黒子の表情は伺えない。
        「・・・・・うん、差し入れ、ちゃんと受け取るっス。人の気持ちをないがしろにしない。」
        「ならいいです、僕も少し意地が悪かったんで。スミマセン。」
        タオルで拭く動作を止めて、黒子は濡れた前髪の間から
        まぶたの上だけ仄かに赤くなっている目でそのまま真っ直ぐに見つめてきた。
        「謝る必要無いのに。」
        黄瀬は少し苦笑したような顔を意識して作り、わざと黒子から目を反らす。
        こういう黒子の視線を受ける度、身が焼き切れそうな想いをしている。

        黄瀬が本当は黒子をどうしたいと思っているかなど黒子は知らない。
        首尾よく事進んでは破裂する夢を見ているなど、知る由もない。
        日常のささいな事に惑い騒ぐ胸を押さえつけて、かけがえない黒子の前に立っている。
        どうしていつまでも気付いてくれないのかと、自分勝手に恨めしく思えてしまったりする事もある。
        気付かせるような行動に出ない臆病な黄瀬は、友人を装って距離を保ちいつも空腹に喘いでいる。

        「それにしても、ずぶ濡れじゃないスか?」
        頭から蛇口に突っ込んでいた黒子を思い返して、問う。
        「・・・・・自分なりに反省してました。」
        「反省?・・・・・どうして。」
        「僕も、キミとこじれたくはありませんから。」
        堂々と言ってのけた黒子が黄瀬をまっすぐに見つめた時、
        雲が流れ、太陽が再び顔を出して、辺り一面が眩しい陽射しに晒される。
        瞬時戻った夏の陽の下。
        あらゆる物が再び色濃く、生命力や存在感を強くした景色の中。
        くっきりと眼前に映る濡れ髪の黒子の姿はとても正視できたものじゃない。

        目眩を覚えた黄瀬は、咄嗟に目の前の黒子に手を伸ばして倒れこんだ。
        「・・・・・!」
        「ごめん、ごめんなさい・・・っス。」

        ガクン、と首を後ろに揺らして急に抱き締められた黒子は、衝撃に数度身じろいだものの、
        黄瀬がふざけた調子でないと悟って、腕の中で動かなくなった。
        「痛いです、特に首が。」
        離して欲しいとは言われなかったので、黄瀬は肘の位置を少し下げただけで、
        黒子を拘束したまま肩越しにうつ伏せた。
        「・・・・・もう怒ってませんけど。」
        「違う、違うんだけど・・・本当、ごめん。」
        黒子の言葉に声を絞り出して否定をしても、これ以上顔が上げられない。
        緊張のわずかに解けた身体を強く抱き締めて、薄く目を開ければ黒子の首から、なだらかな背筋が目に映る。
        少し顔を寄せれば、湿った髪の毛の匂いを初めて知れる。
        一つ、秘密を知ったようで恋しい気持ちが更に高まる。
        衝動に駆られて無理に抱いてしまえば、もう戻れない。
        せめて、こうして距離を縮めてもなお、黒子の心まで捉えきれずに歯痒い。戻かしい。

        「何に落ち込んでるのか分かりませんが、とりあえず元気出してください。」
        相手の苦しい胸の内などつゆ知らず、黒子は身動きの難しい胴体から
        片腕だけ器用に引き抜き、肩口に埋まる黄瀬の後ろ髪を梳きながらゆっくりと撫でてくる。
        「こんなの、君らしくありませんよ。」
        「・・・・・俺らしいって、なんなんスか。」
        空回りな慰めに、余裕を無くした黄瀬は普段より低い声で呟く。
        無意識であれ、黄瀬に囁かれた黒子の耳元に小さな震えが走ったのを感じた。

        黒子の知る黄瀬らしさなど表向きの断片でしかないのに、黒子はそれを信じて疑わない。
        黄瀬の想いを知らない、黄瀬の願望を知らない、黄瀬の本性を知らない。
        早く気付けばいいのに。
        いい加減、もう待ってあげられない。

        これが最後と、抱き込んだ耳元に紛らわしいキスを気付かれぬように落として
        その場を堪えた黄瀬は、黒子を突き放すようにして身体を剥がした。
        「ごめん、もうしないっス。」
        今日のところは。という言葉を飲み込んで、何も壊さず平穏にやり過ごすための笑みを浮かべる。

        いきなり距離を置かれるようにして離された黒子は、きっと一連の行動が理解できないのだろう。
        探る眼差しをしばらく黄瀬に向けてくる。
        「・・・・・ハイ。」
        それでも、黒子が機嫌を悪くした原因のような事を、もうしない。と言う意味でとったのか
        小さく返事をして、それ以上は語らなかった。
        彼の目に映る自分も、残像の中の自分も、きっと普段通りに笑えている。



        黄瀬の脳内の黒子はいつも、歯を食いしばって声を殺している。
        いつも、喉をひくつかせて耐えている。
        そうして普段控えめなトーンで喋る彼が、次第に荒くした吐息混じりに、苦しそうに嗚咽を漏らすようになる。
        黄瀬の頭を撫でてきた黒子とは、かけ離れ過ぎた。
        謝っても謝り足りないほどひどく猥雑なイメージが、鮮明に膨れ上がっていく。

        部活が終了した帰り際、運動着から制服の半袖シャツに着替えている黒子の姿を
        同じように着替えながら横目に見ている黄瀬の想いは、黄瀬の願望は、黄瀬の本性は。
        一番上のボタンまできっちり締められた、黒子の夏服の合わせに秘められている。

        まだ、暴かれない。