発火点 







        導かれたのは普段足を踏み入れない教室札の部屋だった。
        当然誰もいない教室内に忍び込み、黄瀬は黒子の手を引いたまま、
        入り口近くのエアコンの電源を入れる。
        天井に吊られている機器全てから、かすかな運転音とともに冷風が吹出て不快な熱気を追い出していく。
        「視聴覚室と、あとはこの部屋にしかないんだって。」
        黒子から手をほどいた黄瀬は、そのまま前方の教壇付近のボタンを操作した。
        「暗幕。」
        口を挟む間を与えないまま、窓際と廊下側の双方で、深緑色の遮光カーテンが動き出す。
        教師が授業時に操作するのを見たことはあるが、ここは授業であまり使われない特別教室のため
        操作方法など知らない。職員会議や委員会などでの用途が多いことを、黒子は今更ながら思い出した。
        同じ手順で次々にボタンを押し、暗幕を下げていく黄瀬は明らかに手馴れている。
        黒子が呆然と立ちすくんでいる間も、遮光カーテンは整った皺を広げながら天井近くのレールを流れていく。
        全自動のゆっくりとした速度で閉じられ、陽の光が遮断されていくのを
        カウントダウンのように感じながらもなお黒子の足は動かなかった。

        ボタンを幾つか押し過ぎたのか、前壁の真っ白なロールスクリーンもいつの間にか下ろされ
        小型プロジェクターの電源が入り、映写準備が整っている。
        しかしきっと正しくは使われない予感がした。
        陽の光のすっかり入らなくなった教室内で、黄瀬は黒子へと近寄り
        一気に身体を引き寄せた。
        体温の高い胸元にうずめられ、苦しさと恥ずかしさから逃れようと黒子は抵抗した。
        が、まるで押し返せない。
        自分とは異なる体格と腕力の差を痛感するばかりだった。
        「・・・・・まだ、何か落ち込んでるんですか。」
        「うん、・・・だから黒子っちに慰めてもらおうと思って。」
        「意味が、よく分かりませんが。」
        抱き締める黄瀬の声が、後頭部の少し上から聞こえる。
        「ここ、隠れるのにちょうどいいんスよ。」
        黒子の髪の毛に顔を埋める格好で、黄瀬が答える。
        「・・・・・それなりに使っている人の言い草じゃないですか。」
        吐き捨てるような黒子の呟きに、黄瀬はさらに腕の力を強めた。

        「黒子っち、本当はもう気付いてるんスよね?」
        「何をですか。」
        「そうやって、気付かないふりしてるだけっスよね。」
        「君の方こそまだ何一つ示してないです、だからその言い方はズルイです。」
        「こんなこと初めてで、どうすればいいのか本当に分からない。
         ・・・・・俺なりにいろいろ考えて、感じて、思い知ったんス。」
        涼しくなってきた室内。プロジェクターから射す光だけが暗い室内を照らす。
        至近距離の黄瀬は息を吐き、再び大きく吸い込んだ。

        「その人柄が好きで、ちゃんと言葉を選んで喋ってるところが好きで。
         きっと俺しか知らない、見てないような何気ない立ち姿とか、中身と外見の成り立ちが好きで。」

        「いろんな所に心から惹かれてどうしようもなくて。でも身体も正直だから欲求にも駆られて、
         今すぐキスしたい抱き締めたい、いい顔も、痛がってる顔もちょっとだけ見たい・・・って思ってる相手が、
         まさか自分のことを好きである可能性なんて、両想いである可能性なんてそうそうあるもんじゃない。」

        黄瀬は黒子を胸に抱きながら、止まらない勢いで言葉を続ける。
        「でも、そう有ることを望んでる。俺のこと好きでいて欲しい。
         なんて勝手で、思い上がった考えだろう。」

        「俺の事だけ考えて欲しい、俺以外見て欲しくない。
         たとえ傷つけることになっても、嫌な記憶とともに俺の事が残るならそれでもいいっス。
         本当は良くないけど、他のヤツで埋まるぐらいならその方がずっといい。」

        「・・・・・そういう傲慢なところも含めて、人を好きになるっていう感覚は合ってると思いますけど。」

        「好かれているのが前提のお付き合いしか・・・してこなかったから、そう思うんじゃないですか。」
        黒子は、我ながら容赦がないと思いつつ、言葉を返す。
        学校でも、部活中でも、黄瀬を目当てに見学に訪れる女子たちはたいがい積極的で
        たまに色好い返事で応えているらしい事も、偶然耳に入ってくる噂話で知っていた。
        黄瀬がぶち当たっているのは、片想いを知らないほど恵まれた彼らしい、恵まれたゆえの苦しみらしいと
        拘束されている頭で冷静に考える。

        「皆が皆、お互いを同時に好きになるわけじゃないです。
         告白されたり、好いてくれてるのが何となく分かってから意識するようになって、
         相手をよく見るようになって、好きになることも多いです。きっと。」
        その手の経験なら、黄瀬の方が何枚も上手だというのに
        どうして自分が拙い指導をする羽目になっているのか、黒子にはこの状況はひどく滑稽に思えた。

        「よっぽどでない限り、人から好かれていると分かるのはやっぱり嬉しいと思いますから。」
        そう答えた黒子に。黄瀬は今度は腕の力を抜いて、でも逃がさないよう身体を捕らえたまま
        ゆっくりと顔を寄せてきた。陰影のはっきりしている室内で少し攻撃的ともとれる
        熱の籠もった眼差しで見つめてきた。目は反らされない。
        「・・・・・自分も相手も、女の子じゃないのに?」
        「場合によっては・・・・・。」
        「・・・・・だったら、ねぇ助けて。黒子っち。」

        「俺になびかれてくれない?」

        あご先を掴まれて、唇に口付けられていた。
        突然のことに、何が起きたのか分からなかった。
        軽く触れた唇の表面を離された瞬間、我に返り、次を拒否しようと身体をひねるがびくともしない。
        黄瀬と、背後にあった2人掛けの机との間に身体を挟まれる形になった。
        片腕は強い力で掴まれていて、もう片腕で胸を叩き押し返したが敵わない。
        顔の輪郭ごと捕らえられたまま、黒子の抵抗を受け流しての2度目は更に深く、唇を塞がれ続ける。
        立たされたままの膝頭を割って、黄瀬の脚が差し込まれ、足が開かれた状態で固定された。
        狭い視界で、ほの暗い室内で。
        慣れた手つきで黒子の制服のネクタイは解かれた。上から幾つかボタンを外され胸元を開けられた後、
        甲高い金属音と共に、素早くベルトも解かれたらしかった。
        小さく漏れる光だけを頼りに、女生徒でもない自分の制服をいとも簡単に脱がせる黄瀬の器用さに閉口する。
        黄瀬は躊躇なく、黒子の下腹部に手を宛がった。

        先ほどとはがらりと変わった様子に、身体に接触されることなど想定したことがなかった黒子は
        ここで初めて遅すぎる危機感を覚えた。
        ようやく離された唇で、あがっている息に気付かれぬよう答える。
        「・・・・・鍵もしめないで、誰か来るでしょう。」
        「暗幕降りてたら、外からは授業中にしか見えないっス。・・・防音効果もあるし。」
        「昼休み、終わります。」
        「サボればいい。」
        「キミはいいかもしれませんが僕は常習犯ではないので。そのうち誰か探しに来ると思います。」
        「次の授業、なに?」
        「・・・・・体育。」
        「クラス合同のでしょ?じゃあ居なくても分からない。」
        反論する黒子の言葉を、黄瀬は強引に返して丸め込もうとする。
        常日頃であれば言い負かされる事などないのに、黒子を自分のテリトリーに連れ込んだ黄瀬は
        至って強気で有無を言わせない迫力があった。

        「それに今から似たようなことするから。」
        「何ですか。」
        「保健体育。」
        「・・・・っ、冗談は、よしてください。」
        黄瀬の身体を押し返そうとしても、やはり微動だにしない。
        身体能力の差はどうしようもない。背後の机ごと後退して逃れようとしても、机上に乗り上げてしまう。
        黄瀬はこんな時でも整った容貌に加え、甘苦しい顔をしていて、黒子を正面から覗き込んでくる。
        「黒子っちは、俺のこと嫌い?」
        「別に嫌ってはないです。ただ今のキミは僕の人格を構いたいのか、
        それとも僕の身体を構いたいのか、分かりません。」

        「好きだよ、黒子っち。」
        「・・・・やっぱり、嫌いになっていいですか。」
        「全部、俺のせいにしていいっスから。」

        「ねぇ、・・・・・しよう?」