彩色修正(※木黒) 







        秋冷えの早朝、部室へ向かう道すがら、木吉は器用にも黒子を見つけたらしかった。

        「よう、早いな。」
        「・・・・・おはようございます。」
        滅多に声をかけられる経験がない黒子だったが、さほど動じることもなく背高な木吉を見上げる。
        缶コーヒーを携え、首元をマフラーで防備した木吉は少し眉を浮かせ、すでに頭の冴えている様子だった。
        「そんなに寒いですか?」
        「風邪ひいただけでよけいな心配されるからな。それに俺は寒がりだ。」
        「そうですか。」
        長期にわたる入院生活で、おそらく本人より家族の方が敏感になっているのだろう。
        木吉の強かでいて穏やかな性分は、黒子の知らない過去に深刻さを感じさせなかった。

        ウィンターカップに向けて、バスケ部員たちは夏休み明けから登校時間を早めている。
        裏門近くのバス停から、校舎脇の自転車置き場から、
        足早に歩いてくる若干名の生徒のなかに見知ったバスケ部員の姿はまだない。

        青緑から、黄に赤に。すっかり色づいた植栽の木々は、やわらかな陽射しに照らされていて
        隣に並んで歩き出した木吉の横顔を見上げれば、その背後に白んだ薄い秋空も映る。
        20センチ以上も高い身長差で見下ろされるのに、威圧感を与えられない。
        木吉は黒子が今まで出会った誰より、和やかで澄んだ空気をまとっている。
        そのくせ最強を誇るキセキの世代に気圧されない選手の一人だった。
        復帰した夏以降、バスケに関しては青く熱血しやすい、けして屈しない面があることを知った。
        全てを見渡しているようで、なお傍観して、悪気なく何か企むような表情をすることも知った。
        少し眉尻が下がる伏せ目の表情に、落ち着いた味わいの似合う人で
        どんな時も場を翻せるゆとりをもつこの人物を、自分は好きなのだろうと黒子は胸の内で理解していた。

        「先輩はなんか秋っぽいですね。」
        「ん?コラコラ、先輩に向かって枯れてるとか言っちゃイカンだろう。」
        「・・・そこまで言ってないです。」
        「それに小さい秋見つけた、って言うだろ?」
        「すみません、だいぶ大きかったです。」

        口先に軽く乗せただけの些細な会話でも、木吉と一緒だと程よく力が抜けていく。
        傍らの木吉を斜めに見上げると、同じように黒子を見下ろしていたらしい視線と交り合う。
        優しく肩を掴まれ、木吉が屈んで迫った距離で。
        校舎の白壁と、木吉との間に隠されるようにされて、一瞬だけ、乾いた唇の表面があてられる。
        「・・・・・・・・・・。」
        再び目を開けた時には、間近に降りてきた首元のマフラーがまた離れていくのが見えた。
        木吉は立ち止まる素振りだったが、黒子は何事もなかったよう進行方向に視線を戻す。
        甘いコーヒーの香りと唇の温もりも消えぬうちに、2人はまた歩き出す。
        いつ生徒が走ってくるとも限らない敷地内で、黒子は周囲に気取られないよう体勢を整えたつもりだった。
        横並びになって歩きながら、軽く浮いた前髪を整え、木吉は黒子を見ていたが
        「・・・・・そんなふうに何時も平然としているお前を見ると、どうにも妬けるな。」
        と、ぽつり呟いた。
        「平然そうに、見えますか。」
        「その受け答えも狡い、聞きたいことがあるのはこっちだぜ?」
        「・・・すみません。」
        「いや、別にいいさ。前に言っただろ、ずっと試合のビデオ見てたって。」
        木吉は歩きながら顎先を上げ、吐息の白さを確かめるよう、空中に深く息を吐いた。

        「同じ病室だった、花札教えてくれたじいちゃんが言ってたんだ。
        おなごと書いて『好き』と読む。良い女と書いて『娘』と成る。どうだ、漢字ってヤツはよく出来てんだろうって。」
        「・・・・・・。」
        「漢字の成り立ちが通じないぐらいには気に入ってるんだ。お前のことは。」
        「どうも。」
        「・・・・・スマン。俺がこんなじゃ気が休まらないか。」
        「いえ、先輩といると安心できます。」
        「そうか。」
        木吉は今度は顎を下げ、黒子を一瞥して微笑んだ。

        「しかしそれにしちゃ、自分からすぐに離れてくだろう。嫌がられてるかと思うぞ。」
        「嫌じゃないですよ。」
        「だったらなんで、」
        「邪魔じゃないかと思ったんです。」
        「・・・・どういう事だ?」
        「すぐに、煩わしくなるんじゃないかと思いました。」
        あまりに淡白で素っ気無い黒子の返答に。
        木吉はしばし間を置き、
        「なんだよその偏った考え方は。・・・・・俺はそんなこと一言も言ってないと思うが?」
        と、苛立ちを抑え困ったような口調で返してきた。
        「そう、ですね。」

        黒子にそう教えた相手はもちろん木吉ではない。

        熱しやすく冷めやすい。
        そんな思春期の身体を持て余すチームメイトに、黒子は為されるがまま、された。
        彼と彼らは、帝光の無敵時代を築き上げるほどに圧倒的な才能を持っていた。
        一緒にバスケが出来ること自体が不思議だったけれど楽しくて、信頼しあえることが嬉しくて。
        そんな相手が、自分に強請ってくる時だけ特別にしつらえて来る声色を、
        拒絶することが出来なかったのが事の始まりだった。
        バスケをしている時の彼への憧れは止め処なく、同性であっても恋愛感情として好きだったのかもしれない。
        が、消えるようにして別離した今、想いは曖昧になっている。
        行為を終えてなお、甘えまとわり付いてくる相手など煩わしい。
        あとに繋ぐための機嫌取りも面倒くさい。
        以前に彼が言ったことの半分はただの傲慢でも、半分は同性なりに理解できた。
        だから離れがたい温もりも、別れの焦れったさも、黒子には知れるはずがなかった。
        愛しさは欲求を散らす途中にだけ、濃厚に、何度も与えられた。
        好きだ、と言われたかもしれない。
        好きです、と言ったかもしれない。
        痕に募る居たたまれなさは、すぐに身体を離すことでやわらげることを覚えた。


        「お前をそんなふうにしたのが誰なのか、問い詰めたい気はするが。・・・コリャまいったな。」
        目を細めた木吉は、歯切れ悪く黙った黒子の後頭部に腕をまわしてそっと触れた。
        大きな手のひらでそのままくしゃりと、髪束を掴むようにして何度か梳いてくる。
        2人の間で絡まった糸をほどくよう、固まってしまった空気を緩く戻すようなゆったりとした動作だった。
        「一番最初から俺と会ってりゃ良かったんだ。中学時代でも、帝光とは試合してるはずだぜ?」
        「・・・ていうか初耳ですよ、それ。」
        「たぶん黒子はベンチ入り前だったんだろ。そういや、あんときゃ帝光にボロカスにされたっけか・・・。」
        負け試合での苦味を思い出す木吉だったが、撫でてくる手の動きは変わらず優しい。

        「ま、俺は後出しの方が得意だからな。まだ多少気に食わんが
         アイツらがこぞって気にかけてるお前がここに居るから、結果オーライってことにするか。」
        手練手管に流され甘え方など知らない、黒子自身が痛いと思うところを
        持ち前の大らかさでまず受け入れてしまう。
        「だから俺相手によけいなことは考えるな。こないだみたいに、身体も辛いだろううちから
         帰り支度されると、さすがに凹むんだよ。」
        「ハイ・・・・・、いえ、大丈夫です。」
        「けどまぁそういう事なら、今までの分これからまとめて甘やかすからな。」
        1つ1つ足らない箇所は余すことなく補って、先に塗られた彩りはそのまま加筆を施して、
        後から、後から、木吉は上書きしていくことが出来る。

        部室棟が見えてきたところで、ポンと力を入れず黒子の頭頂は叩かれて、木吉の手は離れていった。
        「つーわけで、先輩の言うことは素直に聞いとけ、な?」
        眉を伏せると一段落ち着いてみえる、木吉の大人びた面持ちは黒子の目に冴やかに頼もしく映る。
        つられて黒子は少し頬を緩め、隣の木吉にしか分からないよう笑った。
        「分かりました。」
        「じゃ、部室行くぞ。」

        秘密裏に何か企んでいるこの人の事が、心から好きだと思える気持ちで。
        黒子は幾重にも上書きされていく。
        この秋も、すぐに訪れる冬も、会えなかった春の分も。








            黒子は木吉先輩選んだら、一番幸せになれそう。
            上塗りされて消える色はやはり青色かな。