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              そして懐柔 







        突然、背後から押さえ込むように黄瀬に後ろ抱きにされ、首根に歯を立てられた。
        まるで自分の優位性を示すかのような行動にでられて、黒子は一瞬ビクついてしまう。
        すると今度は触れたままの唇に首筋をぺロリと舐められ、強く吸いつかれた。
        何をされたか分からないほど、世間ずれしているつもりはない。
        けれど続けて皮膚の薄い首筋を甘噛みされ、意識がそこばかりに集中してしまう。
        執着を感じさせる生ぬるい舌の動き、大事にいつくしむようなやり方に引きずられる。
        黒子の肩を捕まえている腕の力は依然弱まらない、それどころか逃れられないよう更にしっかりと固定される。
        シャツの裾がめくられて、黄瀬の手のひらが入り込んでくる。迷いながら少しずつ胸元まで上がってこようとする。
        どうしよう。思考が出来ない。もっていかれる。
        血液が沸騰するような、初めて知らされた高まる感覚に黒子は内心すっかり混乱していた。



        その日、練習試合中に見せた以上の俊敏さで、黒子は黄瀬にさらわれた。
        部活が終了した後、黒子が帰り支度を終えるのを待っていたらしい。
        「…どこ、行くんですか。」
        黒子の腕を強く掴んだまま先を歩いていく黄瀬からの返事はない。
        足の長さが違えば歩幅が違う、部員の誰からも追いつかれないよう急いた早足で、
        黄瀬に引きずられるようにして連れて行かれてしまう。
        陽が落ちたばかりの校庭は、文化部棟や使用中の教室からの明かりが漏れている場所以外どこも薄暗い。
        正面を見たまま真っ直ぐ歩いていく黄瀬の表情は伺えなかったが、普段温厚な彼にしては珍しいなどと
        黒子は呑気に考えていた。何か怒りを買うような事をした自覚はない。
        練習中にかわした会話も取りとめのないもので、普段通りの軽口の応酬だったと思う。
        ともあれ、黄瀬の第一声を待つしかないだろう。
        そうして連れて行かれた、窓の見えない校舎裏。少し錆びた雨樋と、散らばりの少ない砂利道の続く場所で。
        声も無く壁際に押さえ付けられ、いきなり抱きしめられたのである。


        「……噛みつかないでください。」
        拘束がゆるみ、ようやくまともな思考を取り戻した黒子が訴えると、背後の黄瀬が動きを止める。
        「…もう噛んでないっスよ。」
        「口に含んで楽しいですか、そんなとこ。」
        「気持ちよくなかった…?」
        「……経験のない事を、いきなり受け入れられるほど器用じゃないんで。」
        「でもちょっとは感じてたっスよね。」
        黄瀬は黒子の胸元を撫でていた手のひらを、シャツの裾からようやく抜き出した。
        「首に噛み付いて押さえつけて、自分の地位を知らしめる猫みたいです。よく似てます。」
        「こういうのは頭で考えちゃダメだと思うんだよね。」
        「…親しくなりたい相手が欲しいなら他を探してください。」
        「場違いなほどよく喋るっスね…。」
        後ろから強い力で抱かれたまま、黄瀬の唇が耳元に寄せられる。
        「ねぇ黒子っち、動揺してるでしょ?」
        語尾の上がり方に黄瀬の喜びを感じ取る。けれど素直に認めてしまうほど、黒子は自我を崩していなかった。
        「ずいぶんと即物的ですね。」
        「でも嫌がるにしちゃ、抵抗は弱かったっスよね。」
        「そういう艶やかな声色は、女の子を口説く際の常套手段ですか。」
        「ああ、やっぱり分かってないなぁ…、結構分かりやすくしてたつもりなのに。」
        耳たぶに触れる距離で呟く黄瀬とそらされた会話が、きっと質問の答えだろうと黒子は悟った。

        「さっき練習中にギャラリーの女の子たちが見ている中、自分が何て言ったか覚えてる?」
        「今日もよりどりみどりですね。でしたか。」
        思い出した言葉を告げれば、頭の後ろで喋っていた黄瀬は一瞬腕の力をゆるめ、黒子の身体を反転させた。
        両肩を再び、強い力で壁に押さえつけられる。
        校舎の壁と黄瀬の身体とで挟まれているのは変わらなかったが、今度は黄瀬と向き合う体勢になる。
        夕陽で温まっていた壁を背もたれにして、黒子はようやく目の前にあらわれた相手の表情を伺った。
        「そうそう、それ。いつも思うけど…その上目遣いは反則っスよ。」
        仰ぎ見た黄瀬は乱れのない容貌のまま、普段表に出せない興奮がくすぶっているような目をしていて、
        驚いた黒子の唇を浅く掠める。それは触れるだけのキスだった。
        「…なに……して、」
        すぐに口元を拭いたかったが、掴まれたままの腕はびくともしない。
        「オレが普段からどれだけ黒子っちに心身注いでると思ってるの。せっかくの女の子の誘いも断ってるんスよ。」
        普段通りの軽快な口調は、返事を待たない滑らかさで黒子の耳元にこぼれた。
        「なのにあんな事言うもんだから…。だからほら、もっと深くしてもいい?」
        黄瀬の声色が、耳に甘く響く。また一層強く、壁際に押し付けられて唇を重ねられる。
        逃れようにも、自分よりもずいぶんと長い腕に腰ごと絡め取られ、今度こそ本当に身動きが取れない。
        下手に動けば急所で擦れるよう、割られた太腿の間に黄瀬の膝が差し込まれている。
        こういう駆け引きで敵う相手のはずがなかった。
        かろうじて動く膝下からつま先で蹴り上げてみたが、黄瀬は怯まず、足元の砂利だけがむなしく音を立てた。

        強引に割り込んできた黄瀬の舌で舌を絡め、ほどかれ。どこまでもやわらかい接触に追い詰められる。
        普段と全く異なる口の形とその用途に、今更ながら羞恥を覚えた。
        「……っ、」
        相手の舌の形を覚えこまされるように、何度も、何度も重ねられるうちに、黒子の唇はすっかり濡れていた。
        これ以上の侵入を防ごうと嫌々首をねじろうとも、キスに慣れた様子で何枚も上手の黄瀬が許さない。
        それは黒子を苛立たせたが、すっかり息が乱され酸素を吸い込む事さえ必死な状態では、反撃のしようもなかった。
        ただ角度を変えて与えられる唇から、黄瀬の息もあがっている事実を掴んだ事だけが、
        黒子の心を慰めた。





        まるで自分の物でないように、長いこと独占されていた唇をようやく離されて。
        黒子は目の前で機嫌良く微笑む相手を睨み付けた。
        「…なんて事をしてくれたんですか。」
        「黒子っちの初めて、奪っちゃった。……ていうか本当に初めてっスよね?」
        「ふざけないでください。キミのした事は、今までチームメイトとして築いてきた信頼を全て台無しにするものです。」
        嬉しそうにおどける黄瀬の態度を、冷ややかな視線で見上げる。
        「どうして僕に構うんです。キミのファンの子たちならいくらでも相手をしてくれますよね。」
        「だって黒子っちがいいって、……分かっちゃったから。」
        「女の子の相手が飽きたからって手っ取り早く、抵抗ができない体格差の僕って事ですか。
         人を困らせるのがそんなに楽しいですか。」
        「他の子なんてどうでもいいんだって。オレは今、黒子っちの事しか見てないっスよ。」
        口調のきつくなった黒子を物ともせず、安穏と言ってのけて笑う黄瀬は、再び顔を近づけてきた。
        ここでまた口付けられては堪らない。長い間酸欠になる、飛びそうになる意識にしがみ付くような
        あんな風なやり取りではとても敵わない。

        「…正直言うと、それも近頃の悩みの種です。」
        黒子は黄瀬から顔をそむけて呟いた。
        「なに?」
        「キミは僕に気付き過ぎる。クラスも違うのによく会うし、部活以外でも通学中昼休みでも、
         よく気付いて話しかけてくれる。それはとても有難いのですが。」
        怒れる語気を少しだけ弱めて告げる。
        「僕は今まで目立たない事が当たり前だったので、正直この状況には戸惑っています。
         部活中はボールを追っているから支障はないにしろ、ちょっとした脅威です。」
        「あれ、意外だな。気にしててくれたっスか。」
        視線をそらしていても気配で分かる、黄瀬はあくまで朗らかだ。

        「誰かの視野から外れない。こんな事は初めての事です。」
        「それだけ、黒子っちから目離さないようにしてたからね。」
        有り余る自信をもってそう告げてきた黄瀬を、黒子は再び仰ぎ見た。
        「知ってた?オレにとっては、黒子っちって存在が凄くかけがえなくて、ずっと見ていたいって
         思えるほど大切で。もっといろんな事知りたいって、いつも思ってる。」
        黒子にとっては酷く突拍子なく聞こえる告白を、黄瀬はひとつひとつ噛み砕いて
        自分自身に言い聞かせるような言葉で伝えてくる。
        見上げた表情は晴れやかで、黄瀬もまた黒子の反応が気になるのかこちらを覗き込むようにしていた。
        額を合わせるように顔を近付けられ、熱がぶり返したような目で見つめられる。
        冷ややかに構えていた黒子の虚勢を、じわじわと溶かそうとしているのが分かる。

        「他の人たちの中では存在感が薄くても、オレの中での黒子っちは、凄く多くの部分を占めてるから
         見逃す。なんて事一切なかったよ。」
        「…………。」
        「いつからかは、はっきり覚えてないけど。でも去年の終わり頃にはもう結構大きかったかな。」
        「黄瀬く…、」
        「好きだよ、黒子っち。」
        好意を伝えられる事がどうしようもなく嬉しいのだと、そう一目で分かるほどの穏やかな笑顔を向けられて
        これが女の子だったらすぐさま落ちるだろうと考える。
        しかし返答云々よりもどう反応すればいいのか、次の言葉に窮してしまう。
        男女問わず親しみやすく、華やかな外見と人好きのする性格ゆえに周囲はいつも賑やかで、
        多少のオーバーリアクションも煩わしさも憎めない、彼の人柄は嫌いではなかった。
        そんな相手が、同性同士の境界線を越えることに疑問を持たないのがまた脅威だ。
        最初の嫌悪感こそ薄れたものの、はっきりと恋愛を意識した口調で想いを告げてきた彼が望むことは
        きっと先程の行為を含めたやり取りそのものだろう。
        二人の間を遮るものなど何もなく、黄瀬の感情は自然で当たり前な事のように伝えてくるが
        実際は大事なチームメイトだ。これまでの友情をいびつな形にはしたくない。

        そんな黒子の逡巡などお構い無しに、黄瀬はここぞとばかりに続きを要求する。
        「順番、逆になっちゃってゴメンね。」
        今度は額に唇を寄せられた。前髪の生え際にそっとやわらかく控えめな感触が残る。
        その名残が消えないうちにまた一つ、さらに愛しさを上乗せしてくるようなキスが眉間に落とされる。
        離れがたいのだと、気持ちが伝わる。
        間近に見える顔の輪郭からすらりとした喉、胸先にかけて、黄瀬という男の薫りがする。
        「……本当に好きですね、それ。」
        一方的に落とされる口付けに耐え切れず、小言を挟んだ。
        「黒子っちの事好き過ぎて、許されるなら何度でもしたい。」
        返される声色は思いのほか本気を感じさせた。
        「不毛過ぎる、キミも僕も男だ。こんなのは実りがなさ過ぎます。」
        「オレは実りあるっスよ。黒子っちの事好きだなぁって気持ちがどんどん育ってる。」
        「馬鹿な事言ってないで、いい加減離してください。…膝も、どけてください。」
        「……もっと気持ちよくなるようにオレがしてあげるから、駄目?」
        「お断りします、部活以外で疲れるのはゴメンです。」
        つれなく言い放つも、黄瀬の方はそんなやり取りも楽しんでいるようでけして引き下がらない。
        黒子の背筋を手のひらで上から下へなぞり、今度は軽さを抑えた調子で耳元に囁かれる。
        「ねぇ黒子っち、今度ウチにおいでよ。一回オレと寝よ?」

        「……キミ、人の話全然聞いてないでしょう。」
        「黒子っちの事よくするだけだから。本当は全部したいけどそれはちゃんと自制するから。
        誰にもした事ないぐらい、誰ともしたくなくなるぐらい、絶対よくするからさ。
        そしたら今は混乱してる頭の中も、ちょっとはハッキリして良い答えが出てくるよね。」
        「欲求があからさま過ぎます。どうしてそう、ストレートなんですか…。」
        こんな押し問答にはキリがない。
        認めたくはないが、彼をこうまで言わせる原動力は自分らしい。
        目の前の相手から心底欲しがられているのだと、ここまでの時間を要して根気良く伝えられて
        ほんの少しだけ、本当に微々たるものだけども、黒子は嬉しく思ってしまった。
        決して折れず、退かない黄瀬に感心してしまった。けして抱いてはいけない想いを抱いてしまった。
        こうなってしまってはもうずるずると、下手に出るばかりだった黄瀬に取って代わられて、侵されてしまう。

        しばしの沈黙、黒子はもう頬の紅潮を否定できない。



        「可愛い。」
        待ちに待っていた黒子の変化を黄瀬は見逃さず、火照ってしまった唇をついばまれる。
        さっきから自分は、自分では判別できない、してはいけない事ばかりしている気がする。
        同性の境界などとうに越えた遥か彼方を、踏み荒している気がする。
        それがどんなに無防備だったのかを、覆い被さってくる相手の反応で黒子は思い知らされる。
        どうしよう。思考が出来ない。もっていかれる。

        顎を引き寄せられ、上気した顔をじっくりと眺められるのがたまらなく、許しを乞うように黄瀬を見上げると
        「本当にそれ…、わざとやってんじゃないスよね。」
        煽っちゃダメっスよ、ほとんど聞こえない音量でうめくように呟かれて、黄瀬の喉が鳴った。
        「……わざと、って何が、」
        「可愛い。」
        黄瀬は黒子のシャツの裾を再びめくりあげ、素肌を撫でてくる。余裕を欠いた指先があちこちで遊びだす。
        股の間に差し込んだ膝を折りたたみ、反応を楽しむように擦り押し上げてくる。
        痛いほど全身を掻き抱かれ、場所柄も考えず密着した時間は続く。
        内股をよこしまな動きで撫でられ、柔くつねられてようやく、彼の思惑が良くない方へぐらついている事に気が付いた。

        「……ウチにおいで。ね?」
        口約束はしょせんは口約束。
        これから先、数段飛ばしで展開を急く黄瀬を拒んでも、同じような執着をもって熱心になだめすかされ、
        甘く、やさしく手懐けられるしかない。そんな予感がした。