縁取り緑(※緑黒) 







        緑間がバスルームから出て私室へ戻ると、黒子はベッドの縁に背中を預けたまま膝立てて座り、
        文庫本を広げた姿勢で微眠んでいた。
        過去に何度か見たことのある淡い色味のTシャツにジャージ姿で、首周りに大きめのタオルを羽織る。
        自宅以外で見せることの無いくつろいだ格好の黒子を、緑間はとうに許していた。
        緑間の私室で緊張を解くことも、ベッドにもたれる事も、部屋主がいない部屋で勝手に眠ってしまうことも。
        他人との近すぎる距離感を嫌う緑間が試されているのかと思えるほど、
        目の前の相手にだけ許されていることが、日に日に多くなっている。
        黒子のその態度をけして無作法に思うことはない為、つい受け容れてしまっている。


        ベッド脇に静かに近付き、乗せられた腕の重みで折れ目が付いた本を取り上げようとすれば
        自らを覆う影に気付いた黒子が目を覚ます。
        「・・・・・、スミマセン、ちょっと寝てました。」
        「構わん。部活あがりで湯あがりなら眠くもなるだろう。」
        文庫本を置き、目頭を擦る黒子の傍へ腰掛ける。
        フロアに広げられた折畳みテーブルには、来客用の盆の上に白い湯呑みと茶請けが置かれていた。
        「さっき、ご家族の方が、」
        「何か言われなかったか。」
        「いえ、特には。」
        来客の様子を伺いに来たものの、部屋主が留守だったのだろう。
        寝具一式も隅に揃えられている。
        「名目上、勉強会なのが申し訳ないですね。」
        「・・・・・堂々と眠りこけてるヤツの台詞でもないと思うがな。」
        「さっきまではちゃんと起きてましたよ。」
        黒子は肩に掛けたタオルを少し引き寄せ、盆に用意されていた葛湯を口にした。
        「・・・美味しいです。今日のは蜂蜜と生姜の味がする。」
        「素直に美味しいと言ってくれる相手の方が、淹れ甲斐があると言っていた。」
        以前に飲ませた小豆葛湯を絶賛した黒子のため、取り寄せた葛粉が使われている。
        「・・・・・お前のせいで、凝り性に磨きがかかった気がする。」
        来客への丹精込められ過ぎたもてなしに、辟易した緑間がため息を零せば、
        「美味しいって素直に言えばいいじゃないですか。それに血筋は受け継いでますよ、たぶん。」
        両手で湯呑みを包み込むように持ち、口元を隠して笑う黒子は面白がっているようだった。

        金時生姜の入った葛湯を一気に煽った緑間は、手を伸ばして届く位置にあった
        黒子の平たい頬に触れる。
        直視を受け、黒子は手元の湯呑みをそっと机上へ戻した。
        そのまま肩を掴まれ、緑間の方へぐっと強く引き寄せられる。
        床に両手をつき、四つ這いにつんのめる体勢で黒子は正面に緑間を見た。
        同じ高さで近寄った顔面に、頭の重心をずらし緑間自ら、薄い唇へ口付ける。
        眼鏡のフレームがなるべく邪魔にならない角度で口付けられる瞬間に、瞼を伏せた黒子が
        湿る舌の動きで応える。
        清かな後味と甘みの残るキスの後。唇を離し、囁くように問いかけられる。
        「・・・湯冷めしますよ。」
        「しない。」
        と断言したそばから、緑間は口元を手で押さえ、脇を向いて小さなくしゃみを一つした。
        「知ってますか、くしゃみは言葉を裏返すって。」
        「どこの迷信だ、それは。」
        「先日読み終えた古典に書いてありました。」
        「・・・・・だから冷えないよう今飲んだだろう、これは身体を内から温める。」
        僅かに落ちた眼鏡の位置を正しながら、緑間は言葉を続けた。
        「それでも足りなければ、お前の体温を分けてもらえばいい。」
        葛湯の効能と、暖房の効いたこの部屋が、相変わらず言葉の足らぬ緑間の精一杯の気遣いで。
        それを承知している黒子が、掴まれたままの肩の力を抜いたのを合図と受け取り、
        背後のベッドに身体ごと抱き上げた。



        「黒子っちは可愛い。」
        容姿も性格も、可愛いと思える範疇にない。けれど何度も抱いている。
        「今まで付き合った娘とは、…何か違うんス。」
        異性のように扱ったことなどない。けれど他には手放せない。

        同じ人物を見ているのか疑問に思うほど、黄瀬が緑間に言った言葉は当て填まらなかった。
        取り立てて言及する所のない容姿が、水々しく引き締まる局面に、
        普段目立たないゆえに推し量れない内面の強さが浮き出る。
        人の油断につけこむこの上なく厄介な人物を、黄瀬も緑間も正確に捉えられているのか疑わしい。
        捉えられてないからこそ惹かれる、といった方が正しいのかもしれない。

        「よほど愛されてる自信あるんスね。相性、最悪だって言ってたくせに。」
        語尾荒く、人当たりの柔らかな人物は分かりやすい敵意をうかがわせた。
        「2人が両想いに見えないのが悪いんス、特にアンタの方の気持ちが分からない。だから諦めきれない。」
        「元々の存在感が薄い黒子っちが誰と浮気しようと、実は気付かないんじゃないスか?」
        「俺だったら知らせない。」
        「俺だって、抱き締めたい。」

        無粋にも程がある。横槍にも程がある。



        「冗談じゃない・・・っ、」
        先日の受け答えを思い出し、思わず口を突いた言葉に
        組み敷かれ、ベッドの上に沈み込んでいた黒子は目を開き、心底驚いた様子だった。
        「どうか・・・しましたか?」
        黒子の身体を下に敷いてしまった状態で、緑間は眼鏡を外し、ベッド脇へと追いやった。
        ぼやけた視界と照明の消えた室内で、自然と気は大きくなる。
        「・・・・・言え、今日はお前の好きな通りにしてやる。」
        「だから何ですか、いきなり。」
        「ただ、あまり声は出させてやれんが。」
        「・・・・・、っ・・・、」
        不自由な視覚の中、感触だけを頼りに。
        遠慮なく下腹部を這い、太腿を割り開き、辿り着く指の動きに、黒子の上半身が竦みあがる。
        「・・・・・ぅ・・・わ、ちょっ、と・・・待ってください。」
        「やめて欲しいなら、早く要望を言えばいい。」
        「・・・・本当に唐突、です・・・よね、」
        ジャージから下着ごとずらされ、テーピングしたままのザラザラと段差のある感触に身じろぐのに、
        解いた後の指先に更なる感触も重ねられ、取り澄ました相手が二重に恥らう。
        こんな楽しみを、どうしてわざわざ他所へ知らせたり、明け渡す必要があるだろう。
        恋う相手を身体で繋ぐことも言葉で繋ぐことも、どれも正しいとは思えない。
        けれど普段、感情の起伏をほとんど見せない口先が、
        息を乱してもつれる舌先を持ち合わせている矛盾に、すっかり夢中になっている。
        黒子に懸想する相手と同じ表現になるのが気に食わないだけで本当は。
        充分にいとしく思う、介意いたくなる。抱き締めたくもなる。

        「・・・・・、好きだ。」
        一言だったが、緑間の声は掠れた。
        そのままの流れで咳払いするのは格好が悪い気がして、誤魔化そうと息を呑んだが
        それでもやはり格好は付かない。
        どちらにしろはっきりとした言葉で認めてしまった緑間は分が悪い。
        下で一瞬、息を詰まらせたように見えた黒子だったが、続く言葉を発する前に
        鼻先に手の甲を落とし、クシュンと小さなくしゃみを零した。
        「・・・・・今の、引繰り返してしまいました。」
        肘を立て、腕の中へかくまうように黒子を見下ろせば。
        「せっかくなので、もう一度言ってください。」
        上目遣いの視線を浴びても言えるはずがなく、緑間は黒子の唇を、呼気ごと根こそぎ奪う。
        「・・・・・これで閉じ込めただろう。」
        「そんな・・・決まり、でしたっけ・・・。」
        「そんな決まりだ。」
        きっぱりと言い切った緑間は、酸素を取り込む黒子を見据えたまま口端に笑みを浮かべる。

        「・・・返事、要りますよね。」
        正常な呼吸を取り戻した黒子は、緑間の耳朶に口元を寄せる。
        そして微かに嬉しそうな響きで、誰にも惑わされない言葉を吹き込んだ。
        今度はいたずらに覆される事はなかったものの緑間は念を入れて
        それを発した黒子の唇ごと、口に含んで、塞いで。
        何処にも逃げられないようにしてしまった。








           緑間が黒子を抱くときはいつもちゃんとベッドの上。(誰得情報)