皐月病(※青黒) 







        「黄瀬は来週からレギュラー入りさせるって赤司に聞いてる。だから今日は軽めに流すだけにした。」
        そう言いながら黒子の前を行く青峰は、昼間の熱気が消え、薄暗く澄んだ空気の廊下を歩いていく。
        グラウンドの屋外照明が、校舎内にもわずかに差し込み、歩く人物の影を作り出していた。
        黒子は、斜めに長く伸びる青峰の影を踏みながら歩く。
        部活をやって更にその後、黄瀬の練習にも付き合ったというのに
        目の前の青峰には疲労を感じさせる様子はなかった。
        軽めに流したつもりの青峰と、ボールを追って必死だった黄瀬の姿がそのまま、2人の今の実力差なのだろう。

        「喉渇いたな、ちょっと待ってろ。」
        途中、暗い廊下を白く照らす自動販売機の前で、弾くようにボタンを押した青峰は
        取り出した缶を一気に飲んで、喉を鳴らした。
        「いるか。」
        「いえ・・・、」
        黒子の返事を最後まで待たず、せっかちな青峰は勢いよく残りを飲み干した。
        空き缶はすぐさまきれいな弧を描いてくずかごに投げ入れられる。
        青峰のする事は豪快で粗野で大胆で、それでいて全てが逸れることなく、巧くいく。
        黒子が傍らで見ていてどこか切なくなるほどに、圧倒的に強い力が彼には備わっているように思えた。

        自販機の白熱灯の前で、目鼻立ちの陰影を濃くした青峰が
        背後で立ち止まっていた黒子へと振り返る。
        「・・・・・さつきが、お前の話ばっかしてきてウルセーんだよ。」
        「青峰くんもよくしてますよ、桃井さんの話。」
        「俺らのはただの腐れ縁だ。話そらすな。」
        「・・・ハイ、」
        「最近、お前の様子がちょっとおかしいって。」
        「・・・・・・・・・。」
        「・・・だから、俺がなんかしたんじゃねーかって、一方的に決めつけられて参ってんだ。」
        「すみません。」
        「緑間は運勢がどうのって、変な置物押し付けようとするしよ。なんかそれもいちいちムカついたし。」
        片手で後ろ髪を掻いた青峰は一息ついた後、口数の少ない黒子の代わりに一気にたたみかけてきた。
        「引立て役とか、釣り合いが取れないとか・・・ダチ相手にんなくだらねぇ事を考えるわけねぇじゃん。」
        「知ってたんですか。」
        青峰は答えず、眼前に佇む黒子以外を相手にしているかのように、続けざまに喋る。
        「俺が一番欲しいときにドンピシャでお前がくれるパスがどんだけ貴重で、
         俺がどんだけ助けられてるかなんて誰も知らないくせに、周りが勝手なこと言ってんじゃねぇよ。」
        「だいたい一番噛み合う相手だっていつも言ってんのに、何で引き剥がす必要あるんだ。」
        黒子のレギュラー入りは、当人の思っていた以上に波紋を呼んでいたらしく
        風当たりが青峰にまで及んでいたことに黒子は驚きを隠せなかった。

        「ま、くだらねー事言ってる連中は全員腹に一発入れてから、赤司のとこに置き去りにしてきたけど。」
        「・・・・・・・・・・。」
        「テツ、お前はもっとずぶとくていい。」
        「他が何言ってきたって、俺が頼りにしてるんだ。関係ねぇだろ。」
        「口先だけで実力も量れないような奴らには、負けんな。」
        青峰は恥ずかしげもなく、黒子に命令するような口ぶりで発破をかけてくる。
        それは嬉しい響きを持つはずの言葉だったが、素直に受け取ることができず
        居たたまれなくなった黒子は視線を落として答えた。
        「僕は、チーム内で自分が何をすべきか分かっているつもりです。」
        黒子の返事に青峰は焦れた様子で強く睨み返してきた。
        「・・・・・どうにも苛々するな、俺は噛み合わないのは嫌いだ。」
        「キミと僕とじゃ、きっと広がってる世界が違いすぎる。ある程度の距離を置くことは必要だと感じてます。」
        「そんないじけるようなキャラだったかよ、お前は何時もやることが極端なんだよ。」
        「キミには分からないと思います。絶対に敵わない人の近くにいるのって、結構しんどいです。」
        「そうやって思ってもない事言って、周りを突き放すな。」
        「僕はたまに、自分が浅ましくて嫌になる。」
        「・・・・・そうやって逃げるなら、俺は追うぞ。」

        青峰はその場に手荷物を落とし、長い指を伸ばして、片手のひらだけで黒子の頼りない喉元を掴む。
        反対側の腕は肩に伸び、力任せに自販機横の壁に押し付けてきた。
        青峰の身体と背後の壁に挟まれて黒子は身動きが取れなくなった。
        衝撃と、喉を抑えられた息苦しさから思わず歯を食い縛った黒子の輪郭を挟むようにして掴んでくる。
        指先に加えられた力は、青峰からすれば林檎を片手で掴むような容易い扱いだったが
        黒子は骨のきしむ痛みに耐えかねて唇を開き、けほ、と小さく息を吐いた。
        次の息を吸い込んだ途端、青峰は黒子の顎を持ち上げて、どういうわけかその口内に舌を滑り込ませてきた。
        「・・・・・・、っ、」
        近づいてきた青峰が鼻筋を傾け、唇を深く乗せられる。
        ボタンの留められていないシャツの胸元からは、知れるはずのなかった青峰の身体の匂いがした。
        逃げる間もなく重ねられる舌は、驚きのあまり動けなくなった黒子に構わず
        くちゅりと、やわらかな内壁を撫ぜるような動きをしてきて。
        慣れぬ感触に数度たじろぐ黒子を肩で押さえつけ、ひとしきり口内を弄られた後
        我に返った青峰は唐突に黒子の身体を離した。

        「・・・・・・っと、何やってんだ俺。」
        青峰はあまり見せない思案顔で、顎に手を当てて黙り込んでしまったのに対して
        突き放されて、弾む息を整えるしかない黒子は、自分を拘束していた腕を振り払った。
        「何するんですか、いきなり。」
        青峰は堪えた様子もなく呆然と、まだ肩で息をしている黒子を見下ろしている。
        「・・・・・・・いい顔してんな。お前その顔わざとやってんのかよ。」
        少し機嫌を取り戻したのか、口の端をわずかに引き上げている。
        「どういう顔か分かりませんが、怒ってるだけです。」
        「・・・・・・天然か。」
        「・・・僕のどこに天然の要素が、」
        「気が変わった。」
        「は・・・・・?」
        「ちょっと試させろ。」 

        暮れの放課後、静まりかえった校内で、移動する唇の感触には現実感がなかった。