皐月病(※青黒) 







        軽妙にダンクを決めた青峰が、短く乱雑に刈られた髪の毛を浮かせて、得意げな表情をみせて着地する。
        夕闇に照明のついた体育館の中、日に焼けた肌に注ぐ、羨望の眼差し。
        帝光中バスケ部のエースである青峰と、新入部員ながらレギュラー入り確実と言われている黄瀬が
        部活後も居残って対戦している姿を、体育館脇から見学している部員は少なくない。

        授業から解放された後の部活動、純粋にバスケが好きな面子が集まって。
        凝り固まった身体を筋トレでほぐすのも、温まった身体を存分に使って試合をするのも、
        強豪と称えられるバスケ部の中で自分たちが日がな上達しているのを実感するのも、
        ただただ楽しくて仕方がなかった。
        なかでも青峰は抜群のセンスとそれに見合う攻撃性を兼ね備えていて、
        通常入るはずのないシュートも荒すぎるディフェンスも、多少の無茶はいとも簡単にやってのけた。
        誰の目から見ても、青峰の才能の器は今、なみなみと飽和している状態で
        本人すら持て余すほどの才覚だった。
        おそらくこの先、身体と精神の成長とともに器はさらに大きくなり、
        より濃縮された中身で満たされていくのだろうという事は誰もが予想している。
        末恐ろしい彼は他の部員をも感化して、元々才能あふれる負けず嫌いの面々の中には
        同等のレベルまで達しようという者も出てきていた。



        練習着から制服へと着替え、帰り支度を済ませた黒子は
        体育館の出入り口にいるマネージャーの桃井の傍に立った。
        青峰と黄瀬の様子を眺め、手持ちのノートに熱心に書き込みをしていた桃井だったが
        その鋭い観察眼はまた気配の薄い黒子も見逃さない。
        「あ、テツくん、今日はもう帰り?」
        振り向いた桃井はゆるく束ねたポニーテールを揺らし、黒子に対し健康的で愛らしい笑顔を向ける。
        分け隔てなく接する彼女だからこそ、曲者の多いバスケ部員たちにも立ち向かえるのだし
        きっと好かれてもいるのだろうなどとぼんやり考えながら、黒子は答える。
        「・・・ハイ、ちょっと教室に忘れ物取り行ってから、帰りますけど。」
        「大丈夫?もう暗いし、閉まってるかもしれないよ?」
        「吹奏楽部の音が聞こえてるんで、たぶんまだ大丈夫です。」

        「おいテツ!ちょっと待ってろ!」
        ボールを奪おうとする黄瀬をかわしながら、青峰が体育館の中から呼びかけてくる。
        黄瀬は口を開く余裕もないようで、目の前から逃げるボールを奪おうと必死だ。
        緊迫した状態でよくもこちらに気を配れるものだ、ましてや自分に気づくなど。と感心しながら
        黒子は桃井に伝言を頼む。
        「真剣にがんばってる黄瀬くんに悪いので、今日は先に帰ってます。」
        と、彼に伝えてください。と言った傍から、
        「いいから、待ってろっつってんだよ!」
        怒号にも似た声が、また体育館の中から響いてくる。
        「ちょっと、青峰くん!テツくんにも都合ってものが・・・」
        「うっせーな、ブスは黙ってろ!」
        「・・・・ひど!!何よガングロ!!」
        「ガン・・・、さつきテメェ、」
        「青峰っち!余所見してる暇、ないっスよ!!」
        いい加減痺れを切らした黄瀬が、ついに青峰からボールを奪うことに成功したようだ。
        「おっ、ちょっとはやるようになったかよ?」
        嬉しそうな青峰の声、活気あふれる喧騒から逃れるように、黒子はひっそりと体育館を後にした。



        校舎の窓から見降ろす、遠くの夕闇のグラウンド。
        教室に戻って忘れ物を回収した黒子は、放課後の廊下の暗がりを歩きながら
        何気なく眼下の風景を眺めた。陽の落ちかけるグラウンドで野球部員がトンボをかける砂地も、
        陸上部員が片付けに向かっている体育倉庫も、校舎から続くトタン屋根の渡り廊下も、
        初夏の昼間の明るさとは別の空間のように青く薄暗い場所に変わっている。

        「パスしかとりえのない」「青峰の引立て役」
        それが先輩方や同級生における黒子の評価で、事実まさにその通りだった。
        本来試合に出れるはずもない実力の黒子がベンチ入りするようになったのは
        何よりも試合に勝つことを主眼とし、2年生ながらバスケ部を牛耳るようになっていた赤司の差し金による。
        そのため黒子が新たにレギュラー入りすることが固定となって外された、
        黒子より体格も技術も優れた選手が幾人もいる。
        完成に近づいていくチームの調和を考え、赤司はかの選手よりも黒子のパスを重要視していたらしかった。
        黒子を間に挟むパスワークと青峰の得点力は非常に相性が良い。
        青峰本人がよく口にしているせいもあって、黒子の類まれな能力は部内で自然に浸透していく頃でもあった。

        しかし外された選手からすれば、異質な黒子の存在は忌むべきものでしかない。
        帝光中バスケ部レギュラーともなれば、スポーツ推薦での進学枠を獲得したも同然とされ
        有名校からのスカウトの目も熱い。そんな魅力的な場所から振り落とされれば、良い気はしないだろう。
        輝く存在に近づけば近づくほど、影の色も濃く、強調されるようになる。
        次に控えている選手層は厚く、レギュラーを外してくれと言うのは簡単だった。
        しかしそれはどうしても出来なかった。
        黒子は脚光を浴びることのない、自分の分相応な立場を承知していて
        それでいて才能あるチームメイトからの信頼されることが嬉しくて、彼らと出来るバスケが大好きだった。
        入らないシュートをなじられるどころかこんなに不器用な自分でも、
        実力のある彼らはチームの一員として認めてくれていた。
        バスケに対しても仲間に対しても、健気な彼らの気持ちを嬉しく思った。

        だからせめてもの線引きとして、部活中以外では極力青峰たちレギュラー陣の視界に入ることを
        心の中で後ろ暗さを感じつつ、避けるようになった。
        元よりひとり静かに控えていることのほうが多く、にぎやかな輪に入ることは性に合わないため、
        特別具合の悪いことではない。
        それはレギュラー選考に漏れた、プライドの高い選手たちを刺激しない、黒子なりの自己防衛でもあった。



        生徒のいない放課後の廊下は、人通りの多い場所で気を張っていることが重なっていたせいか
        ずいぶんと気持ちが静まる気がする。
        テニスコート寄りの生垣に並ぶ青草や、広葉樹が風にそよぎ葉擦れする音、
        どこからか吹奏楽部が奏でる音色は、ひんやりとした始まりの予感がする。
        夏が近づいてくる感覚をふと思い出しながら、黒子は下駄箱へ向かい階段を下っていく。

        体育館へ出られる通路を横切ると、別れたはずの青峰が敷きタイルを蹴って
        こちらへ駆け寄ってくるのが見えた。
        黄瀬との練習もそのままに着替えて急いでやって来たのか、
        青峰は学校指定のシャツを1枚着崩しているだけだ。
        初夏と言えど夜に気温の低くなるこの時期では、見ていて少し肌寒い。
        しかし本人は気にも留めていない様子だった。
        「・・・・・暗くなるとまぎれて見えなくなんだろーが、コラ。」
        ただでさえ所在不明な黒子の性質をとがめるかのように、顎をあげ横柄に見せてはいるが
        青峰の声色はくだけているだけで不機嫌ではなかった。
        薄く乾いた唇の端をあげて、黒子に追いつき安堵する。ほがらかな表情をみせている。
        攻めてくるものには容赦のない切れ上がった目尻も今は眼力を弱くしており
        よく日に焼けた健全な頬は、常に熱く火照っているような印象を受けた。
        「なんでいるんですか。」
        「帰るぞ。」
        「もう、いいんですか。」
        「いいんだよ、つーか勝手に帰んなよな・・・ったく。」
        桃井へ言伝た内容など素知らぬ態度で、黄瀬との練習もそっちのけ、黒子の事情などお構いなしに
        目の前にいる青峰は、おそらく着替えくらいしか入っていない軽そうなバッグを振り回して、
        黒子の進行方向をずかずかと先導して歩いていった。