溺愛パレット(赤黒>黒子総受)  ※女体化注意!







        「ミドチン、怖い顔してどったの?」
        「どうもこうもない、クラスの連中がお前がいないと騒いでいた。掃除当番じゃないのか。」
        部室棟の廊下をまっすぐにこちらへ向かって歩いてきた緑間は、呆れ顔である。
        「あり?そうだっけぇ?」
        「早く済ませて体育館に顔を出さないと、また基礎練だけメニューを倍にされるのだよ。
         ただでさえ練習嫌いなのに試合まで出られなくてどうする。」
        眼鏡をブリッジを押さえながら、深く息を吐く。緑間の小言が始まった。

        気付けばホームルームを終え部室へ向かう生徒たちの行き交いが多くなってきていた。
        文化部・運動部棟の廊下は教室とは違う板張りで、上履きと運動靴それぞれの足音が、湿気を溜めた床に擦れ響いている。
        三人の脇をすり抜けて小走りで行く生徒たちを追うように、梅雨の生ぬるい風が通り抜けていく。
        黒子は自分の存在が見えていないかのように、頭上で交わされる二人の会話を大人しく聞いていた。
        赤司と話している時は、彼がごく一般の男子生徒と変わらない背丈のため苦労はなかったが、
        二メートル近い紫原と緑間を見上げ続けるのは、首が辛い。
        しかも男子とは違い、今の黒子は首もいくらかほっそりしてしまってひどくすわりが悪い。
        これが女子の身体なのだろうか、付け毛の負担もあり上を向くだけで頭が重たい。
        自らのうなじから手前に流れる人工毛を指先でそっと撫でれば、本物と違って硬く滑りが悪かった。
        この髪の毛も今の黒子自身も、所詮作られたまがい物なのだと痛感し、独り苦々しい気分になる。

        「んじゃあミドチンだって、こんなとこで油売ってる場合じゃないっしょー。」
        「俺は今から委員会がある。かさ張る荷物だけ、先に部室へ置いてきただけだ。」
        「ふうん。つーかもしメニュー増えても赤ちんに頼んで免除してもらえばいいし。べつに困んないよねぇ?」
        紫原は能天気な調子のまま、雨降りの窓へ視線を移していた黒子に同意を求めてきた。
        話を振られ正面に向き直ると、黒子の存在をようやく気にかけて見下ろした緑間と目が合う。
        「……ええ、そうですね。今まで時間がかかったのも、赤司くんの指示ですし。」
        返事をした黒子を、緑間はいぶかしげに注視している。
        「あ、この子には手出ししちゃダメだよ。赤ちんの彼女だから。」
        「紫原くんの言葉は信じなくてもいいですから。それにキミは掃除当番、早く行った方がいいですよ。」
        隣からの軽口をたしなめながらも、互いの視線はぶつかったまま。
        くどくどと紫原を説き伏せていたはずの緑間は何故か固まっていて、まだ黒子を眺め続けていた。
        誰から見ても女生徒に見えるよう、との命令で変装したはずだ。
        紫原は女生徒の黒子の姿を見て、初見で黒子に似ているとは言ったが本人だとは気付かなかった。
        さきほど姿見で確認した自分の姿は細身の女生徒そのものだったが、
        鏡を眺めるうちにどうも睨みつけて見てしまう顔の表情に、どこか違和感があるのは否めない。
        髪型を変える際には、女子の制服を着せられそうにもなったが断固拒否し、
        袖を折った自前のぶかぶかとしたジャージ姿のままである。
        まさか自分の考えが甘かっただろうか。女性化しているとは思わないまでも、女装をしていると。
        見抜かれてしまったのだろうか。
        じろじろと身体を這う遠慮のない視線にたじろぎ、どうしたものかと目を逸らした途端、緑間が声を荒げた。
        「……その、袖をみせて欲しいのだよ!」
        「え、」
        「お前が何者かなどどうでもいい、だが、それは……!」
        緑間は黒子の片腕を強い力で掴んだ。
        「……っ、」
        「袖につけているピンの柄は、もしかして針ネズミじゃないのか!?」
        黒子の腕を引っ張り持ち上げた緑間は、ジャージの袖に目を凝らしている。
        バンダナを留めている銀の刺しピンの針ネズミが、廊下の蛍光灯を反射しきらりと光っていた。
        「頼む、一日だけ貸してくれ。針ネズミの小物は明日のラッキーアイテムなのだよ。」
        珍しく興奮した様子の緑間は掴む力を弱めず、黒子を覗き込むように背を折り至近距離で迫る。
        「わあお、ミドチンせっきょくてきだね。でもこれ赤ちんに怒られるよ〜。」
        やり取りを眺めていた紫原は我関せず、口だけ挟んで様子を見ている。
        「痛いんで、とりあえず腕離してください。」
        「……ああ、すまない。」
        力を緩めたものの、黒子の腕は離さない。二の腕に刺した金属具の、針ネズミの装飾を凝視している。
        「ラッキーアイテムって、おは朝の占いは明日の分まで教えてくれるんですか。ずいぶん親切なんですね。」
        「そうでなければ当日の朝に欠かさず準備などできるものか。おは朝の占いは完璧で、隙がない。」
        「僕は見てないんで知りませんでした。」
        「……人事を尽くすのには欠かせない、是非見ることを勧めるのだよ!」
        今度は力のこもった演説が始まりそうだったので、黒子は話を逸らす。
        「こんな小さなものでいいんですか?いつも持ってるのは、けっこう大きな置物ですよね。」
        「大きければ大きいほど運気を集めるのは確かだが、今回に限って針ネズミの小物自体が見つからなかった。
         手持ちのアイテムにもないし、そもそも出回っている数が犬や猫に比べて圧倒的に少ない。」
        「でもカエルとか狸とか、確か持ってましたよね。」
        「……よく知っているな。」
        「その、バスケ部の人たちは…有名人ですから。でも実はこれ、僕も演劇部の人に借りているものなんです。」
        「なに?」
        「又貸しになっちゃいますけど、困っているならお貸しします。また僕か紫原くんに返してくれればいいです。」
        バンダナを固定するため、棚の手近にあったものを借りただけだ。針ネズミのデザインはただの偶然である。
        袖に刺してあったピンを外し手渡せば、緑間は満足そうに受け取った
        「何組だ。赤司と同じ組か。」
        「いえ、…あの。」
        「分からなくては返しにいけない。」
        「えーと、じゃあ紫原くんに返してください。同じバスケ部なら顔を合わせるでしょう。」
        「んー…?まあいいけどー。」
        話の流れを聞いていた紫原が了承する。
        「分かった。手間取らせて悪かった。」
        「いえ。それともう一度言いますが、僕は赤司の彼女ではありませんよ。」
        「なるほど……それではお前は、男か。」
        どきりとした。質問の意図が分からず動きを止めた黒子を見て、緑間は微かに笑って言った。
        「違うのなら、女子なのに“僕”などと言う。その言葉遣いは社会に出る前に直したほうがいいだろうな。」
        穏やかな口ぶりの緑間だったが、紫原には早く掃除に行くよう厳しく注意して足早に去っていく。
        見知らぬはずの女生徒へ向けた最後の表情に、黒子は驚きを隠せない。
        「ミドチンてば黒ちんに対して無意識だよあの人、あ〜本当やだ。」
        緑間の姿が見えなくなったのち、紫原はその場にしゃがみ込み両手で自らの頬を覆う。
        「緑間くんに、バレなくて良かったですね。」 
        「良かったはずなんだけどねぇ。…赤ちんが隠し通せって言った意味、分かっちゃったかも。」
        紫原は腰を落としたまま黒子をちらりと見遣り、げんなりした様子でそっと呟いた。



        掃除当番と部活へ向かう紫原と別れ校舎へ戻ってきた黒子は、誰も自分の姿を気に留めないことにひとまず安堵した。
        制服姿の生徒とジャージ姿の生徒、すれ違った割りあいは半々ほど。うまく紛れてやり過ごす事が出来るだろう。
        目立たないよう図書室へ向かうつもりだったが、教室に誰もいなければ女の姿で荷物を取りに行っても大丈夫かもしれない。
        保健室に運ばれたまま戻って来なかった黒子を、青峰は心配してくれているだろうか。
        しかし今、もう大丈夫だと会う訳にはいかない。この身で会えば間違いなく混乱させてしまう。
        バスケが大好きな青峰なら、もうとっくに体育館へと向かっているはずだ。

        はじまったばかりの放課後の時間、窓の外はどんよりとした厚い雲に覆われ、雨が降り続いている。
        ぱらぱらという水音が、容赦なく校舎の壁を叩いていた。
        静かな渡り廊下を歩いていた黒子は、角を曲がった際かち合った女生徒にいきなり話しかけられた。
        「ねぇ!あなたのところに文化祭の写メ、回ってきてない?」
        「写メ…って、何のですか。」
        元気よく言い募る女生徒は、黒子の両肩にばしばしと手をあてて答える。
        「黄瀬くんの、こないだの学園祭で軍服コスプレしてたヤツ!!
         超格好良かったぁー!って聞いたんだけど、…見てないかな?」
        「……いえ。」
        ぽんぽんと口の回る彼女に、黒子はしばし圧倒されてしまった。
        「そっかぁ…、コスプレしてたの当番の時間だけだったみたいね。
         仕事中だから写真はダメって黄瀬くんも断ってたって聞いたし、今回ちゃんと撮れた子少ないんだよ。」
        「そう、なんですか。」
        学園祭で会った黄瀬は、普段通りの制服姿だった覚えがある。黒子が会ったのは当番の前後だったのだろう。
        クラスの出し物を見に来てほしいと言われていたがクイズ研のスタンプラリーに夢中になってしまい結局行けずじまい。
        あとで大げさに嘆かれたような覚えもある。
        しかし黄瀬がにこにこと朗らかに女子の列をさばいていただろうというのは、たやすく想像できた。
        女の子には平等に優しくね、とさらりと言ってしまう黄瀬はその実、誰ひとりとして特別扱いしない。
        一定の心の距離で誰とでも付き合う。
        それは優しいのではなく卑怯であり、逃げなのだと、黒子は思っているし黄瀬も承知しているふうだった。
        その踏み込ませない領域を敏感に感じ取っている女子のなかには、自分がただ一人の特別になろうと、
        躍起になっている子も多いと聞く。とは言え、目の前の女生徒はただ純粋な憧れをもっているだけのように思えた。
        「持ってる子あんまりいないみたいで。もし友だち経由で回ってきたら、私にもお裾分けしてね。」
        「わかりました、お力になれずスミマセン。」
        「気にしないで!またね!」
        歯切れよく走り去っていく黄瀬ファンの女生徒はどこか好感のもてる活発な成りのまま、
        人通りの少なくなった廊下を通り過ぎていった。

        曲がり角で階段を下り、ちょうど中間の踊り場で黒子は立ち止まる。
        踊り場の側壁全体には大きな鏡がはめ込まれており、昇り降りする人物の全身をくまなく映し出している。
        ぼんやりと明かりのついた薄暗い壁に、胸に手を置いたしとやかな女の子の姿が浮かんでいた。
        その表情はどこか不安げだ。
        さきほど声をかけてきた女生徒は黒子を、同性だと信じて疑わなかった。
        緑間も、もしかしたら黒子の面影を捉えたのかもしれないが、本人だとは気付いていない態度だった。
        鏡に映った自分の顔に、お前は誰だ。と問いかけ続ければ、いつしか精神に異常をきたす、という逸話がふと思い浮かぶ。
        しかし黒子が問いかけたいのは、鏡の中の自分ではなく、今手を置いているこの身体の自分自身だ。
        一体今の僕は誰なんだろうか、元の僕は一体どこへ行ってしまったのか。
        もし今日中に元の身体に戻れなければ、これからどうなってしまうのだろうか。
        考えるだけで疲れてしまう。鏡に問いかけるまでもない、精神はひどく不安定だ。



        「待たせたっスか。」
        鏡と睨み合いながら考えに耽っていた黒子を、現実に連れ戻す声がする。
        さきほど黒子が下がってきた階段から、一段一段黄瀬が降りてくるところだった。
        「やっぱりケジメつけとかなきゃって思って。」
        この場には黒子しかいない。どうやら話しかけられているのは自分らしい。
        しかし女生徒の姿での黒子と黄瀬には面識がない。
        奇妙な感覚に襲われて相手を見上げた黒子に、黄瀬は鮮やかな笑顔を向けてくる。
        その表情に、黒子の違和感がさらに増した。
        整った容姿に相変わらず人を惹きつけるオーラを持ち合わせているが、この黄瀬には
        普段の黒子に向けてくる親しみが欠片もないように思える。そのせいか、顔に貼り付けた笑みに薄ら怖さすら感じられる。
        さっきは邪魔が入ってゴメン、そんな事を言われた。
        もしかして、誰かと間違えられているのだろうか――――
        そうこう考えるうちに踊り場の、黒子に手が届く位置までたどり着いた黄瀬は、相手の合意も得ないまま強引に唇をのせてきた。
        いきなりの舌の入った感触に混乱した黒子が身じろぐと、なだめる様に背中を支えられる。
        外壁側を背にして身体を挟まれ。横目に映る鏡の中に、黄瀬に抱き寄せられもがいている女の子の姿がある。
        そのまま黒子の腰をぐいと引き寄せた黄瀬は、さらに身体を密着させて耳元に唇を落とした。
        「ゴメンね、好きになれなくて。」
        許しを請うような、そして相手を蕩かすような甘い声色で一言、囁かれた。
        今度は舌は入らなかった代わり、離れ際に耳朶の表面をちろりと舐めて離れていく。
        感じた事のない場所への刺激に、初めての身体はびくりと震えた。

        「何をしてる。」
        気付けば上の階に、二人を見下ろす赤司が立っている。
        黒子は驚いて力を緩めた黄瀬の腕を払いのけ、急いで身体を離した。
        「……ったく、覗き見が趣味なんスか。」
        目の前の女生徒に逃げられた黄瀬は、一気に気まずくなった場を赤司のせいにして冗談交じりに文句を言う。
        「自分で墓穴を掘るようじゃ、テツヤに内緒にする必要もなかったね。馬鹿馬鹿しい。」
        見上げた赤司から返った言葉は、やけに冷えていた。
        「何言って……、もしかして怒ってるんスか?でもさっきは何も…、」
        「だって相手が違うじゃないか。涼太も、彼女も。」
        赤司はどこからか取り出した小さな赤い紙を指先で弄りながら、冷静な声で言い放った。
        「涼太が呼び出した相手ならちょうど今、向こうからやってくるところだろう?
         まあ顔も覚えていないなら、また間違えるかもしれないけれど。」
        赤司が居るフロアの端から、一人分の軽快な靴音が近付いてくるのが聞こえる。
        「じゃあ、この子は……違う、」
        「こっちにおいで。」
        上階から命令してきた赤司は呆然とする黄瀬を無視して、黒子だけを見ている。
        黄瀬は慌てて黒子の身体に手を掛けようとしたが、すでに階段を駆け上がっていた黒子の二の腕を掠めただけだった。
        先程ピンを抜いたせいで、ジャージに巻いてあったバンダナの位置がずれる。袖のプリントが露わになった。
        焦って振り向けば、まっすぐこちらを見つめてきていた黄瀬と目が合う。
        「……黒子…っち――――」
        入れ替わりで、似た背格好の女生徒が現れ、上機嫌な面持ちで黄瀬へと駆け寄っていった。
        ショックを隠せない様子の黄瀬を置き去りにして、今は自分を呼ぶ赤司の声に従うより他なかった。