王の食事(※赤→黒)
翌日、試合会場の他校へ一軍は大型バスに乗って移動することになっている。
宿舎からは離れるが、駅に近くなるのでそのまま帰宅する分には便利だ。
しかし二軍以下は宿舎近くの体育館で、相手校を招いての試合となる。
万が一にでも帝光が敗北する事は許されないため、紫原は今回戦力として二軍へ帯同するメンバーに選ばれていた。
出発する際、駐車場でバスに乗り込もうとしている赤司に、昨夜の黒子の様子を伝えようと声をかけた。
「昨日吐いたの流してるっぽいとこ、見ちゃったんだけど。知ってた?」
「そうか。」
赤司の返答は、短く曖昧なものだった。
「まぁ現場見てないから本当に吐いてたかどうかもあやしいけどね……何かいい匂いさせてたし。」
「どうして僕に、そんな事を言う。」
「え、キャプテンが把握しててくれればそれでいいかなって。深い意味は特にないよ。」
こちらの言葉に一瞬、目つきが鋭くなったように見えた。
しかし思考回路を読ませる隙のない相手が、機嫌を損ねたかどうかなど紫原には全く分からない。
「……ならいい、知らせてくれた礼を言おう。」
出発時間が迫り、バスのエンジンがかかる。一軍メンバーたちは、荷物を整理し次々に座席へ着いていく。
黒子も一軍のメンバーとして車内へ乗り込もうとしていた。
「テツヤ、ちょっと来てくれ。」
「……はい。」
赤司に呼びかけられ振り返った黒子は、二人の立っているところまで近付いてきた。
穏やかな日差しの下でも、やはり顔色がすぐれず頬に赤みはない。
しかしそれよりも紫原は、黒子の表情がやけに強張っている事の方が気にかかった。
「何ですか。」
「昨晩から、調子が悪いそうだな。」
「平気です、練習に出れないほどじゃありません。」
「夕食を戻してるのを見たと、敦から今聞いたところだ。」
黒子はちらりと、紫原を見上げた。
告げ口を責めたかったのだろうが、黒子の気を張った様子を見る限り悪いことをしたとは思えない。
「あの後、すぐに寝たのでもう治りました。」
「本当に?」
「……嘘をついて、どうするんですか。」
「体調管理は重要だ。それに集中力に欠けたまま一軍に混ざっても怪我をするだけだろう。
今日はテツヤもここに残るんだ。」
「でも、」
「僕は、動きの鈍い駒はいらない。普段と同じ状態でないなら、お前は一軍では使えない。
ここまで言わないと分からないなら、これからもお前は使えない。」
「……はい、スミマセン。」
急なメンバー変更に黒子は何か言いかけたが諦め、大人しく従った。
赤司はこちらと目を合わせないまま、バスへ乗り込んでいってしまう。
紫原はその姿を見送っていたが昇降口を上がる際、赤司の口元は笑っているように見えた。
黒子は先ほどバスのトランクに積めたばかりの荷物を取り出して、二軍が集合している場所へさっさと歩いていく。
自分の戦略に組み込めない、調子の悪い駒はいらないと赤司は言っていたが、
黒子の体調を考えた結果ならば非難できない。それぐらいの事は黒子にも分かっているだろう。
「たぶん赤ちんも心配してるから、外したんだと思うよ?」
バッグを肩にかけ前のめりで歩いていく黒子を追いかけ、声をかける。
「……そう言われる事が、一番腹が立ちます。」
「あれ、怒ってんの。珍しいね。」
「これで誰もが、彼の判断は正しいと言うんだ。でもこれで、僕はまた逃げ場がないんです。」
「……はぁ?」
「だったら最初から、僕を一軍になんて上げなければ良かったのに。」
得体の知れない苛立ちを抱えている黒子に、紫原は続く言葉を失った。
その日の午前中はのどかな晴天に恵まれ、体育館でウォームアップをし練習試合に備える。
しかし急な変更で二軍に加わった黒子の動きに、普段の精度は無かった。
ストレッチの時からのどこか虚ろな様子に気付いたのは、紫原一人だけだったろう。
一軍レギュラーであろうが普段から存在感のないその特殊性が唯一通用しているのだから、
黒子一人を注意して見ている者などいない。
先ほどのことが引っかかり横目で眺めていれば、前屈の際に背中を押され、ひどく具合の悪そうな顔をしていた。
黒子は技術面で劣る事は多くミスも目立つ選手だが、普段の練習量についていけずに脱落することは一切ない。
弱いのに、人前で弱みを見せたりは絶対にしないところはよくやるなと呆れつつ紫原も承知しているので、
やはりどこかおかしい。むきになって付いていこうとしているのも逆に痛ましい。
予想は的中し、練習途中でふらふらと蛇行し気配に気付かない近くの部員に身体をぶつけてしまう。
目の前を通過したボールへ下手に手を出し、コート外へ出してしまう。
いつもなら勢い鋭く通るパスも、弾き損ねてまごつく事が多い。周囲もようやく、いつもと様子が違うことに気付きだした。
数人が集まりやり取りをした後、マネージャーが慌てて付き添おうとしたが、しまいに黒子は体育館から出て行ってしまった。
黒子一人がいなくとも、メンバーは補欠含めて十分揃っている。対戦相手が到着し、練習試合は滞りなく進んでいく。
試合を挟んでの昼休憩中、一軍に付いてバスへ乗ったはずの桃井がやってきた。
「ムッくん!テツくんは!?」
天気が良かったので近くの木陰で昼食を取っていた紫原は、騒がしい第一声に辟易しつつ、
口の中のものを飲み込んでから答える。
「俺が知るわけないし。早い時間にどっか行っちゃったよ、試合も出てないし。」
「そっか、……具合悪いの、朝食の時に気付いてあげられればよかったんだけど。」
「黒ちんのために、わざわざ戻ってきたわけ?」
「こっちに人数残してなかったから緊急で。一軍も結構キツキツで回してるけど、私一人ぐらい動けるもん。」
「あっそ。……向こうに女子いるから、知ってるんじゃないの。」
「ありがと!良ければ、これ食べて!」
緑の芝生の上にビニール袋を差し出される。
「何これ。」
「寒天ゼリー、テツくんが食べられそうかなと思って持ってきたんだけど、ムッくんにもお裾分けするね。」
「お、やった〜。」
「この辺りじゃ有名なお店のなんだって、向こうチームのマネ友から貰ったの。」
慌ただしく喋り終えて去っていく桃井を、周囲で昼食を取っていた部員たちは羨望の眼差しで見ていたが、
紫原の興味はすでに袋の中に移っていた。
この場にいる人数分はとても用意されていないデザートをどうするか。取り合いになるのは避けたい。
しかし袋の中の包装紙はとても小さく可憐で、きっと一つだけじゃ満足できない。
紫原は食べ終えた容器を片づけるふりをして芝生から立ち上がり、そのまま桃井の後を追いかけた。
案の定、体調不良を隠していた黒子はマネージャーに付き添われ、すぐ近くの医者へ向かったらしい。
合宿先はすでに退去していたが、特別に一部屋を借りて寝かせてあると言う。
睡眠不足と心労が重なったことによる体調不良で、しっかり眠り安静にしていれば回復するとのことだ。
「今日までムッくんが使ってた部屋、他より少し離れてるからそこで休ませてるみたい。」
桃井の言葉に紫原が頷く。
「うん…、あそこは結構静かで良かったよ。またの時も同じ部屋がいいかも。」
「次の団体の予約入ってたから利用延長できるか心配だったんだけど、許可もらえて良かったね。」
昼休みの間に様子を見ておこうと、二人は宿まで連れ立って歩いてきた。
宿舎の玄関先には次の学生団体が到着しており、これから荷物を運び込むのだろう。
管理人室に桃井が声をかけ通り抜ける際、背丈のある紫原には団体の視線が自然と集まった。
目立つのは標準サイズと違うせいもあるが、帝光のジャージ姿のせいでもある。
絶対王者の証であるこの姿は、バスケに詳しくない近隣学生にも一定の知名度があり、周囲を驚かせる効果があるらしい。
「今日の練習が終わって帰るまでは部屋使ってもいいって。
その時のテツくんの体調次第で、帰りにタクシー使うか決めればいいかな。」
宿舎の廊下を歩く時も桃井は早足で、急いで黒子の姿を確かめたいというのが分かる。
だから足の長さの差があっても、紫原も自分の歩調で歩く事ができた。
二人がそれぞれに持つデザートの袋が揺れ、静かな廊下に白いビニールががさがさと音を響かせる。
「……でも睡眠不足と心労って。昨日ちゃんと寝られなかったのかな。合宿辛かったとか。」
「うん、吐いてたみたいだしねー。」
「嘘!!」
「具合悪いって言って早めに部屋に入ってくとこ、俺は見たけどー。」
「ちょっと、それ何で知らせてくれなかったの!?」
「声大きい。ここだよ、俺の部屋。」
騒ぎ出した桃井を遮り、紫原は和室の引き戸を開ける。簡易な靴箱と上がりかまちの先に、引違いのふすまがある。
その先が畳の部屋だ。一人部屋にするには贅沢な、応接間のような室内だった。
なるべく音を立てないようスリッパを脱ぎふすまを開けると、敷かれた布団の上に黒子がいた。
人が入ってくる音が聞いて、目を開く。
「起こしちゃった?ゴメンね。」
桃井が小声で謝ると、顔を傾けて返事をする。
「……大丈夫です、少し寝られたんで。こっちこそ……迷惑をかけてしまって、スミマセン。」
「全然!みんなの力になるために私がいるんだから、気にしなくていいんだよ。」
優しくいたわりの言葉をかける桃井を見て、黒子は布団から起き上がった。
練習着ではなく部屋に備付けの浴衣に着替えている。横になっていたせいで少しよれているが、病人には楽な格好だろう。
甲斐甲斐しく世話をやく桃井は、寝汗を吸ったタオルを再び濡らしに洗面台へ出ていく。
「紫原くんも、わざわざありがとうございます。」
「んー、俺はお見舞いっていうか、デザート食べに来たっていうかー。ついでだし。」
布団の脇に腰を下ろせば外からの太陽光が暑いくらいで、紫原は障子を閉めて日陰を増やした。
「テツくん、お薬飲んだ?」
「起きたら何か食べて飲むように言われてるものがあります。」
「じゃあこれ食べられそうなら、食べた後に飲もうね。」
戻ってきた桃井は、ビニール袋から保冷剤を避け、白い箱を取り出した。
それを部屋の端に寄せられた座卓の上に置き、包み紙を開けて見るも鮮やかな寒天を取り出す。
「何ですか、」
「対戦校でマネージャーやってる友達にもらったの。雑誌にも載ってるお菓子なんだよ。」
「……食べるの勿体ないぐらい、綺麗ですね。」
「でしょ?暑くなればもっと種類も増えるらしいんだけど、これだけでももう選べないくらい可愛いの。」
容器に入った水菓子は何種類もあり、桃井が黒子に選ばせたものを平皿にあける。
色の付いた寒天の内側に、桜の葉や花弁をあしらったものや金平糖のような形の様々な色をした餡を閉じ込めてある。
どれも中身が透けていて精巧な模型のような成り立ちで、一口で食べるには惜しい出来だ。
紫原も自分で持ち込んだビニール袋からデザート取り出した。桃井が取り出したものとはまた種類が違った。
これは季節を先取りして、中に金魚が泳いでいる。
同じように平皿にあけ、桃井が持ってきた水筒から冷えた茶を注ぎ、竹串を添えれば立派な茶会だ。
「美味しいです、とても。」
最初に一口食べた黒子が、素直に感想を述べる。
「うん持ってきて良かった、全部食べられそう?」
「何個でもいけそうです、食欲も湧いてきました。」
布団の中から起き上がったままの黒子は少しだけ元気を取り戻したようだ。
「桃ちん、俺もこれだけじゃ足りなーい。」
「ムッくん、あげたのもう全部食べちゃったの?」
「だっていっこいっこ小さいんだもん。美味しいけど、コスパ悪過ぎでしょ。」
二人が一つ食べ終える前に三つ食べ終え不平を言う紫原に、桃井は驚き呆れ黒子は小さく笑った。