王の食事(※赤→黒) 







        わずかに開いた障子越しに光が射し、病人に襲いかかっている最中の猥らな空間に陽だまりが落ちている。
        目の前で合わさっている身体はどちらも大して動かず、ただ黒子が肩を上下して呼吸を整える合間に
        赤司は口づけを深くして黒子の口内を執拗に探っているようだった。
        黒子の半身には皺のよった掛布団が被さっていて、苦しさにもがいた黒子の片足が無防備にはみ出していた。
        その太腿に手を伸ばし二の腕で抱え上げるようにして足を開かせたのは、キスを仕掛けていたはずの赤司だ。
        意図を感じ取った黒子が足を閉じようとするが、すでに赤司の胴を挟む形に捕らえられている。
        
        小暗い仕切りから覗ける紫原の視野はとても狭かったが、指一本分だけ開いていれば室内を把握するには十分だった。
        窓の隙間から見える空の青さが眩しい。冬を越した垣根の新芽も咲きこぼれている。
        昼休みにここへ来た時に障子を全部閉めればよかったと思う。
        外の透けるような青空と、畳の部屋の醜悪な対比に目を覆いたくなる。
        とにかく絶対にばれてはいけない。黒子には悪いが、中へ踏み入る勇気などない。
        赤司が夢中になっている隙を見つけてこの場を立ち去るしか他、退路はない。

        息をひそめ緊張する紫原の存在などまるで気付かぬ様子で、赤司は手荒く黒子の腰を持ち上げうつ伏せに転がす。
        浴衣の襟から手を差し入れると、浮いた鎖骨と平たい胸がのぞけた。
        女と錯覚しているわけじゃない、男が男を相手に組み敷いているのは事実だ。女役をさせようとして。
        赤司がどういう嗜好で黒子に相手をさせているのか紫原には図りようがなかったが、
        試合に登用すると言い出した時から興味をもっていたのは間違いない。
        これまで見たことがないタイプだと赤司も最初は驚いていた。
        しかしそれは普段見過ごされてしまうほどの存在感の薄さの話で、誰も気付けなかった黒子の能力を
        使い道のあるものと気付かせた事で、一軍レギュラーとしての黒子の立ち位置を周囲はすでに受け入れている。
        赤司は黒子のことをちゃんと見抜いていたはずだ。
        そんな二人が折り重なる向こう、窓の外では若葉が風に擦れ合い、穏やかな午後をこれでもかと演出してくる。
        不釣り合いな景色だ。

        「痛かったら声を漏らせ、」
        赤司の言葉にも黒子は無言のまま、唇を閉じ結んでいる。
        「もちろん、……良くても漏らすんだ。」
        身をよじる黒子が這いつくばった体勢で逃れようとしたが、赤司は強い力で腕をひねり上げ逃さない。
        背後から乗り上げて関節が外れんばかりに力を加えられる、下手に抵抗すれば怪我をさせられるだろう。
        戦意を失わせる策を好む、襲われた方は勝ち目がない。自由と気力を根こそぎ奪われてしまう。
        赤司は黒子の腰帯を解き半身の衣を肩から剥ぐと、自らの上着も脱いだ。
        腋下から差し込まれた手に身体を好いように触れられている、しかし黒子は強情にも一切意味のある声を発しない。
        「そう我慢しなくていいと、何度も言っているのに。」
        赤司の台詞により、部屋の奥で何が行われているのか悟った紫原は口を押さえ嗚咽を堪えた。
        今回が初めてのことではないのだ。黒子は赤司にもう幾度かこういう事をされている。
        好意もしくは悪意がなければ、同性相手に性的接触を求める真似はしないだろう。
        しかし悪意をもって辱めたいのなら、数人で羽交い絞めにしまった方が手っ取り早い。
        身体にダメージを与えるなり動画で脅すなり、流行の方法で追い込めばいい。頭のいい赤司が自ら手を下すのもおかしな話だ。
        だとしたらやはり、黒子に対して特別な感情があってのことだ。
        嫌がる身体を抑え込まれ一方的に苛まれているようにしか見えない黒子は、前のめりに倒れてぐったりとしている。
        寝間着の帯はすでに飾りとなり、畳をゆらりと垂れ下がっている風情がしどけなく見える。
        黒子の腰元に辛うじてとどまっている浴衣地は、淡水魚の尾のように波打ち乱れている。
        とても見ていられず目を伏せたが、するすると衣の擦れる音が生々しい現実へと引き戻す。
        赤司が肌を摺り寄せるたび、次第に泣き声なのか呻き声なのか判別ができない、黒子が押し殺せなかった息が喉を抜ける。
        手淫に屈しない態度にもやがて限界が来たのか、
        「ひ……、ぁ、ア……っ」
        容赦ない赤司の攻めに耐えきれず、とうとう黒子が小さく喘いだ。
        手のひらに吐き出された精液を眺めクスクスと笑う赤司に対し、
        相手をさせられている黒子はうつ伏せに倒れ込んだまま肘を立て、額を畳に押し付け荒く息を吐き出す。
        「……本当に望まないなら、一軍から降ろしてもいい。
         だがお前は、もう知ってしまっただろう。最近楽しそうじゃないか。」
        帝光で三年間三軍でいる部員たちがどれほど惨めかという事。それでも落ちこぼれる者はどんどん退部していく事。
        今の黒子がどれほど恵まれた環境にいるかという事、誰が今の状況を画策したかという事。
        赤司は背後から覆い被さり耳打ちをしている。ぼそぼそと聞こえてくるそれはまるで呪詛のようだ。
        「言い出せるはずがない、蜜の味を知っているならもう戻れるはずがないんだ。」
        「まさか自分が、他を押し退けて帝光のレギュラーになるなんて夢にも思わなかったんだろうが。
         存外したたかさもあった、そんな所は気に入っている。」
        「実際、たいした才能だ。他に類をみない特殊な一手だと思う。」
        赤司は生じた興奮を隠しきれない様子で、床に転がる黒子に対しかすれた声で問いかけ、物言わぬその顎を引いた。
        力なく手足を放り寝乱れた黒子は目を開いているだろうか。
        敗北の決まっている相手でも心折れずけして諦めない黒子の気性を、紫原はけして美徳とは思わない。
        無駄な抵抗は、さらに酷いやり方で相手をひねりつぶしたくなるだけだからだ。
        「……そんな目をされても困るな、見返りに服従しろとは一言も言っていないだろう。
         僕はそんな事を望んでいるんじゃない。」
        薬の口直しにと、桃井が出していった茶請けの葉皿を引き寄せる。
        薄紙をはずし、小粒の落雁を黒子の口へ放り込む。
        その両頬を掴み、無理やりに咀嚼させたそれを今度は自ら黒子の口内から吸い上げて取り戻す。
        元は美しい干菓子の白い粉に唾液が混じり、別の菓子と化した物だ。味は香ばしく甘いだろうが元の形状を留めていない。
        そんなものを、赤司は嬉々として受け入れ食べている。
        最初の一度だけ嫌がり顔を歪めた黒子だが、それが赤司を喜ばせていることを察して抵抗を弱くした。
        「変わった物があるな。」
        保冷剤と共に置かれていた、黒子が食べきれず残した水菓子の箱を手に取る。
        赤司はひとつを摘まみ上げて半開きの黒子の口へ押し込んだ。
        あれは紫原が昼休みに食した、水色透明の寒天を中を、淡い朱色の金魚が二匹泳いでいるもので。
        丸い茶巾絞りは、さながら小さな金魚鉢だった。
        相手ごと捕食するつもりなのか。
        口いっぱい喉奥まで押し込まれ、息が出来ず苦しがる黒子に構わず、赤司はその唇を吸う。
        寒天の水分でべったりと濡らした両者の唇で、やり取りされるのは朱色の餡菓子。
        黒子の口の中で運良く噛み切られずに跳ねた金魚を、赤司は取り出して食した。
        酸素が回らず残りをすべて吐き出した黒子の口からも、もう一匹の金魚が畳の上に跳ねた。
        激しく咳き込み息を整える黒子を待たず、その肩を乱暴に抱き寄せる。
        赤司は床に散らばったゲル状のくずを黒子の下肢に塗りつけ、潤滑剤代わりにした。



        音を立てたかなど気に掛ける余裕もなく、紫原は後ずさりして引き戸から外へ出た。
        宿舎の廊下は何事もなかったかのように静まり返っている。窓いっぱいに若木の緑が映る、平穏な昼下がりだ。
        頭が働かず呆然としたまま、とにかく足を進めて玄関まで来た。
        無言でロビーを通り過ぎる際、施設で働く大人に不審そうな目を向けられたが帝光のジャージを着ていたので、
        声をかけられることはなかった。
        頭の働きが鈍い。嫌な味の生唾が止まらなくなる。耳元で心臓の音が聞こえる。
        今さらになって冷や汗が噴き出す。居ても立っても居られない。
        日頃から肩のこらない気楽な風体で過ごしていた紫原だったが、ショッキングな出来事にすっかり混乱している。
        一刻も早く平常心を取り戻さなければ、抱えた秘密に胸が押し潰されそうだった。
        ジャージのポケットを探っても飴玉ひとつ出てこない。早く帰りたいどうすればいい。
        気分が悪くなり急いで練習場所へ戻る。第二試合はまだ続いていたが紫原の不在は当然気付かれていて、
        マネージャーに見咎められた。ウルサイ。実際に声に出したか分からない、目の前の人物の顔が強張る。
        切迫した紫原の様子に驚いた桃井が駆け寄ってきて、何か言ってきたが耳に入らない。
        手荷物のバッグへ一直線に向かう。チャックを開ければいつも食べている菓子が覗いていた。
        紫原は駄菓子の包み紙をすばやく剥いて齧りついた。
        普段と同じ行動をとることで必死にいつもの自分を取り戻す。日常と何ら変わりのないと言い聞かせる。
        しかし合宿中に持ち込んだ間食は残り少なく、今日の帰りにでも買い足さなければもう底をついてしまう。
        叱られたって構わない。一般の部員に科されれば辛いペナルティも自分にはそう大した罰ではない。
        ただならぬ紫原の様子に脇から声をかけてくる桃井を振り切って体育館を飛び出した。
        近くのコンビニに飛び込んで駄菓子を買い込む。
        何か食べれば落ち着くだろう。気に入っている限定味のフレーバーがあれば一番いい。
        
        少し冷静になってから練習場所へ戻ろうと食べ歩きしながらも、赤司が黒子を弄ぶ姿が頭をチラつく。
        口にした菓子はどれもまるで味がしなかった。味覚にも影響が出ているらしい。
        黒子は初め三軍にいて、どういうわけか青峰の練習に付き合っていた。そこで赤司に目をつけられた。
        しばらくして一軍の試合に出られるようになった黒子は、今更元の場所へは戻れなくなった。
        赤司の言葉をヒントに自分の役割を模索し、パスが面白いように通る楽しみを知ってしまったから。
        紫原は努力してがんばる人間が好きではない、しかし錯覚を利用してパスを通す技術は黒子独自のセンスの塊りだ。
        仲の良い青峰を始めとして現レギュラー陣は、黒子の能力を少なからず認めている。
        バスケが出来る大切な場所は守りたいだろう。
        それを分かっていて赤司は黒子を追い詰めるような真似をし、黒子の心が折れるのを待っている。
        三軍へ降ろすよう請えばバスケを捨てる事になる。捨てられないから、赤司からも離れられない。
        求められる現状を受け入れるしかない。

        あの異様な食事風景には現実感がなかった。
        一切声を発しない黒子は捕らえられた獲物のように死んだも同然で、赤司は好き勝手にその身体を転がし襲いかかる。
        肌を合わせて交わっている間、数度に渡り口移しの食事の給仕が行われた。食べ物ばかりでない。
        連続して射精させられた黒子の薄まった精液すら、首を振り嫌がる相手の唇に指で塗り付けてから赤司はそれを舐めとった。
        キスがしたいなら素直にすればいいのに、強がる黒子の冷めた顔を一層歪めたくて、赤司は意地悪く振る舞う。
        相手から何も得られないなら、一度与えたものを奪う形で受け取ろうと言うのか。
        黒子の負担は相当なはずで、ならば夕べ遅く痛々しい姿で口をゆすいでいたのも頷ける。
        それを知った赤司が、気に入らない態度に出たのも。
        愛情と呼べるのか分からない複雑な感情の成れの果てに、今なおあの部屋では最悪な方法で給仕がされているのだろう。



        「敦、いきなり黙ったけど。大丈夫?」
        急に現実に引き戻されると、氷室が訝しげにこちらを見上げていた。
        学校帰りに連れ立って歩いていた二人は、夜道の分かれ際に差し掛かっていた。
        「……あれ、何の話してたんだっけー。」
        「別に今はなにも。それよりも顔色、悪くなったんじゃないか。」
        ぼんやりと、和菓子の話をしていた覚えがある。あれから苦手になった和菓子の話だ。
        美しい成りをしているほど、ぐちゃぐちゃに崩れて散らばった姿は無残だ。
        食べてもらえなかったものはなお酷い、想像するだけで気分がざわつく。
        「いや、……またお腹すいてきただけだから。これ今から食べちゃおっかな。」
        買ったばかりのスナック菓子の山を見て反射的に呟くと、
        「すぐに夕食だろう、程ほどにしておけよ。じゃあ、俺はこっちだから。」
        白い外灯の下で苦笑した氷室は、小さく手を上げ帰っていく。思い出させた張本人は暢気なものだ。


        部活中は関係を気取らせない二人の姿に、自分が見たものは現実ではないものだと思いたかったが。
        赤司がいない時は、黒子もいなかった。
        赤司からは何もかも視透かされている目線を向けられ、関わらないようにするしかないと悟った。
        紫原の間食の日課はこれまで以上に欠かせないものになり、口寂しさを紛らわす駄菓子を常に欲するようになった。
        食べていることで平常心を保てると、一度学んでしまった心は修正しようがなかった。罪悪感もあったのかもしれない。
        好きな駄菓子を口にしていないと意味もなく焦ってしまう。強迫観念がある。食べることは自己防衛の手段だ。
        栄養の偏りは否めないが、カロリー消費の激しい体格と運動量でカバー出来ている。
        以前より味が薄くなり美味しく感じなくても、止められなかった。
        しばらくして青峰の様子がおかしくなり、赤司の支配はさらに絶対的になり、引退を待たずして黒子が姿を見せなくなった。
        紫原は身を守り、鈍感でいることに徹した。



        「ちょっと待って。」
        数歩先を歩き、去っていこうとしていた氷室に声をかける。
        「何だい?」
        背を向けていた相手が立ち止まり、振り返る。
        「ハイ、これとこれもあげる。」
        紫原は紙袋から先ほどとは違う種類のスナック菓子をばらばらと取り出し手渡した。
        「……ああ、ありがとう。こんなにもらっていいのか?」
        「全部食べた事ないっしょ、後で感想聞かせてよね。」
        「俺だけもらうのも悪いから、部の皆にも分けていいかな。」
        「うん、でもそれはまた別に、皆にあげるから。これは全部あげる。」
        一瞬戸惑った氷室はすぐにクールな印象の笑みを浮かべ、快く受け取ってくれた。

        紫原は今日も駄菓子を口にする。買い込む量は少しも減らないが、以前より味は濃く感じられる気がする。
        新しい環境に多くは望まない。
        ただこれからは此処が、美味しく食べられる場所であればいい。