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              秘密  







        電車を乗り継ぎ到着した自宅は、外から見上げても灯りの一つも点いていなかった。
        車庫には何も停まっていない。多忙な家族の帰宅はまだ当分先で、しかも今夜は誰も帰ってこられないと聞いている。
        皆の生活リズムがバラバラなのは毎度のことだ、すでに家族に甘える年頃を過ぎたし不自由はしていない。
        路地の外灯が届かない陰影の濃い闇の中、門戸から続く砂利と敷石の段差に足を取られてつまづいた黒子を
        黄瀬は二の腕を掴んで支えた。
        「どうも。」
        「身体、酷いの?」
        「……いいえ。」
        否定の言葉尻は弱く、気分良好とはほど遠いのだろう。
        人気のない玄関先へ黒子を招き入れた黄瀬は、すぐ手に届く壁面の電灯を点けて背後を振り返った。
        ようやく明るくなった戸口の近くでのろのろと靴を脱いでいる黒子の肩を捕まえると、
        はっと我に返った顔で見上げてくるのに構わずジャージの前を開けた。ひっそりと静かな玄関でファスナーの音と衣擦れだけが響く。
        互いに無言のまま、続けてインナーのTシャツも剥がしにかかるが抵抗はない。
        ジャージ内に籠もっていた汗ばんだ空気が放たれ、黒子の身体は小さく震えた。
        腰周りの布地を抜き出し首元まで思い切り引き上げれば、脇腹から胸部まで治りかけて黄色くなった小さなキスマークがある。
        それは玄関の白い光に照らされた肌に、無数に浮かんでいた。
        黄瀬にされるがまま脱力している黒子の片腕を持ち上げれば、手首から肘までに薄手のサポ―ターが巻かれている。
        位置をずらしてみれば、手首の少し下に幾重か輪っか状の擦り傷がある。縛っていた際上手く抵抗できず、肌と紐とで擦ったからだ。
        上半身でこれだけ、あとは見なくても判る。
        太腿と足の付け根付近には執拗なキスマークが残されていてまだ先日の熱を残しているだろう。
        喉の腫れはほとんど治っているようだが、数日前の別れ際にはひどくがさついた声をしていた。
        黄瀬は内出血の箇所、傷の程度を全て知っている。
        細く平たい身体中ごと自由を許さずに一晩中なぶったのは自分だ。
        だって拘束しなければ、目が覚めた時にいなくなってしまうかもしれないから。
        黒子が何も告げずに出て行ってしまうことが怖くてたまらないから、ベッドの上で動けなくしたのだ。

        「誰かに気付かれたりしてないっスよね。」
        「見てくれは派手ですけど、部活に出れない程じゃないんです。擦り傷も痛みはほとんどありません。」
        身体を支えている黄瀬の手から逃れ、黒子は裸の胸をシャツで隠しその場で衣服を整えた。
        両腕のサポーターは腕から抜き、鞄の中へ入れてしまう。
        「うん、良かった。」
        「全然良くない、良かったのは健康診断が終わったばかりだった事だけです。
         次の練習試合までにはどうにかしないと、ユニフォームが着られないですし。」
        与えた折檻は本来ならばここまで酷くなるものではない、という事を黄瀬は経験上知っていたのだけれど、
        黒子は痛みも快感も染み込みやすい性質でこれまでの淫雑な知識はまるで通用しなかった。
        とりわけキスマークのつきやすさは他に類を見ず、軽く吸いつくだけで独占欲の強さを知らしめてしまう。
        「ごめんね、今日は付けないから。」
        「当たり前です。」
        冷えた玄関に立ちすくんだまま素気なく交わされる会話。
        フローリングの床へ一段あがった黄瀬はその場に跪き、黒子の靴を片方ずつ脱がしてやり、誰もいないリビングへと促した。
        脱がしたジャージの上着と通学鞄を受け取って、客間のソファの上へ追いやる。
        「夕飯、適当に作るから。」
        くつろいで座ってて、と言うのを黒子が遮った。
        「先に、シャワーをお借りしていいですか。汗かいたまま着替えてないんで。」
        「……じゃあ、すぐ用意するから待ってて。」
        希望通りにすべく廊下へ出て脱衣所のドアを開き、タオル類の入った棚から2人分を取り出した。
        給湯器の電源はもう入っている。浴槽に湯を立て、高い位置にある窓を開けて外気を取り込む。
        少しして着替えをもってきた黒子は、黄瀬が制服の裾を手足共にまくり上げているのに気付き戸惑っていた。
        「本当は一緒に入っちゃえばいいんだけど、俺まで風呂入ったら夕飯食べる前にベッド行きたくなっちゃうし。」
        「僕の面倒見るつもりなら、要りませんよ。」
        「だって、身体つらいんスよね。」
        好き勝手してしまった相手の肌を確認する作業は譲れない。痛めつけてしまった身体を介抱したい気持ちもあるし、
        情事を連想させる身体から、あの時は普段とまるで違ってしまう黒子の乱れた振る舞いを想い一人楽しみたい気持ちもある。
        「そこまでやわじゃない、部活も最後まで出てきましたから。」
        「いいからオレにやらせて。身体看たいから、ほら脱いで。」
        ためらう黒子を強引になだめて上着から下まで次々に剥がしていけば、浴室からの淡く柔らかな光に素肌が晒される。
        暖かな色灯りのもとで露わになればなるほど、局所的に酷く付けられた痣は異様だった。
        「……僕をまだら模様の生き物にするつもりですか。」
        晒された肌に一瞬たじろいだ様子を見せた黒子はすぐにタオルを引き寄せて腰に巻いた。
        「酷いことする人がいるもんっスね。」
        「まぁ、ここに白々しい人もいますしね。」
        紫色から肌色に近い色へ治りかけてはいるが、明らかにやり過ぎだ。
        「まだらの紐って知ってますか。」
        「……今すぐ俺を咬み殺して、抜け穴から出てってくれてもいいっスよ。黒子っちなら。」
        「でも僕、あいにく毒はもってないんです。インド由来でもないですし。」
        開いた口腔に毒蛇のような赤く薄い舌が見える。
        濁りのない平然とした眼差しで黄瀬を見ていた黒子は、伏せ目がちになってわずかに笑みを浮かべた。
        「本当に毒、ないの?」
        「ハイ、これっぽっちもありません。」
        「そっスか。」
        臆面のない言葉を呟く唇にキスしてから、握力のない手を引いて浴室へ。乾いたタイルが足の裏にひんやり吸い付く。
        時間の経過とともに倦怠感が勝ってきたのか、大人しくしている黒子を椅子に座らせて
        その背後に回ってシャワーヘッドを構える。低い水圧でぬるま湯を浴びせてやりながら目の前の頭を洗髪しはじめる。
        バスケットボールよりも小さな、片手で容易に掴める大きさの頭部を指先で柔く揉みしだく。

        黒子から付き合いましょう、という返事をもらった黄瀬は喜んだのちにすぐに強迫観念に駆られた。
        自分を好きだという言葉を本当は信じたい、想ってくれていたなんて本当は信じられない、けれど。
        いつも隣にいてもいいと思ってもらえるぐらい、相手が自分のことを好きでいてくれていて、
        時々優しい言葉や態度を示してくれる。抱き寄せてキスして自分を欲しがってもらえる。
        そんなことを想像したらもう我慢できない。早く身動きのとれないようにしてしまわないと。
        せっかく一度逃したものが転がり込んできたのだ。
        今度こそしっかりと捕まえて雁字搦めにせずにはいられなくて、常に物狂おしく焦っていた。

        だからそれは獲物を捕らえてけして逃さないよう、肉に食い込むまで爪を立てる行為とよく似ていた。
        「ちょっと縛ってみてもいいっスか?……拒否っても縛るけど。」
        捕縛用のロ―プなんて手近にあるわけもなく、手芸用のやわらかな紐を幾重にも巻きつけた。
        色はその時々で違っていたけれど、見目に刺激的なのは濃い紅色で、肌の色に映えるのは濃い藍色だ。
        後ろ手に縛ってベッドに押さえつけ、芋虫のように転がる身体の腰だけを浮かせて突き上げた。
        黒子は顔面で体重を支えるしかなくて、額ごとベッドへ沈んだまま短い間隔で息を吐き出している。
        引き返し擦れる痛みと快感とで次第に、浅く弱々しい呼吸は途切れがちになる。
        「苦しいよね。でも気持ち……いいなら少し、速くしていい……?」
        「キミが、いい……なら、構いませ……っ」
        「俺はね、いい感じなんスけど。……だって凄く興奮してる。」
        「……ぅ……っ、……ぁ……、……奥……っ、」
        「うん、もう無理……っ」
        「――…っ…、……、……、」
        目の前でよじれる背筋はとても痛々しかったのだけれど、黄瀬のせいで寝乱れる黒子の姿には病み付きになった。
        無抵抗の身体へ、何度も何度もキスマークを施した。
        時に右手と右足、左手と左足をそれぞれセットに縛れば愉快で仕方なく、開脚しっぱなしの挿入部のグロテスクな光景に
        経験の少ない黒子は顔を引きつらせてしまう。けれどすぐ切なげな表情に変わる。これは可愛かった。
        手錠をかけるように前で手を合わせ、網目模様に肘までぴったり結わえればまた言いなりだ。
        膝立ちさせたまま歪んだ口形に無理やりねじ込んで、可動域の少なくなった両手で丹念にフェラさせる。
        口内射精に至るまで、逃れることはできない。
        「……俺から逃げられないなんて、可哀想な黒子っち。」
        「可哀想なのは、僕ではありませんよ。」
        汗と精液とで濡れた前髪の隙間から、遠慮のない清廉な眼差しが向けられる。
        こうした色事に積極的ではないけれど嫌がることもなかった、どうしてそんなに従順なのかと尋ねれば、
        「僕はちゃんと、キミの事が……好きですから。」
        と、一言一言大事そうに囁くのだ。そうして黄瀬を慰めるかのような優しい唇が寄せられる。

        黒子が不在だった時間を黒子が償う必要は何もないけれど、これは許されないだろうと思う事が
        許されてしまうから不思議で仕方ない。相手を攻略し尽くすこと、負担を気遣いとことん優しくすること。
        得体も知れず昂ぶってしまう感情の両極端な使い道を、黄瀬は黒子と恋人として接するうちに理解した。
        「……少し痩せたよね、俺のペースに合わせるとそうなっちゃうんスかね。」
        「カントクにも言われたんですが、原因を聞かれてほとほと参りました。」
        「じゃあ今日は、美味しいもの食べて帰ろう。」
        「でも僕今月はあまり余裕が、」
        「いいよご馳走するから、その代わりちゃんと食べないと駄目っスからね。」
        嬉しそうに、やわらかく笑い返してくれるのが可愛いくて堪らないと思う。
        今、帝光時代の空白期間の穴埋めのように、黒子は忙しない日々の合間を縫って黄瀬の傍にいてくれる。
        ひどい事をしてしまうのに、どうして変わらず一緒にいてくれるのか分からない。
        もしかしたら本当に好きでいてくれているのかもしれない、と期待を捨てられず求め続けてしまう自分が浅ましい。



        頭皮を揉まれるたびに泡立ったシャンプーがあふれて、黒子の肩から下へ流れ出した。
        泡まみれの身体が、腰辺りに広がった斑点を覆い隠していく。黄瀬の執着の塊りが一瞬だけ消え失せる。
        白い泡をかぶった綺麗な背中を見つめて、すぐさまシャワーの湯で洗い流す。
        そうして再び姿をあらわす黄味がかった内出血の散らばる肌を眺め、黒子には分からないよう空笑いをこぼした。

        いつまでも思い出から脱却できない。いつ切れるとも知れない二人の繋がりを大切にできない。
        肉に爪を食い込ませて逃がさない、常に衰弱させておけば逃げる気も起きない。
        日に日に、二人の関係を今すぐ断絶させるような方法しか取らなくなっている。
        黒子にしている所業はDVのようなものだ、加虐性の強いセックスだ。誰かに知られれば引き離されてしまうだろう。
        「……いなくならないよね?」
        物思いに耽ってしばらく沈黙していた黄瀬が、少し緊張した声で呟けば
        「ちゃんとキミの傍にいますから、そんなに不安なら触って確かめればいいでしょう。」
        前髪から水滴を滴らせながらこちらを仰ぎ見て、はっきりとした物言いで告げてくる。
        「でもそんな事言って、どうせまたいなくなるんスよ。」
        「……僕自身を信じてもらうには、まだ時間がかかるみたいですね。」
        結局のところ、自分が傷ついた分だけ黒子を傷つけたいという気持ちが何よりも強い。
        黄瀬のことを好きだという黒子の言葉をまるで信じられない。
        「ひどい事されてるって誰かに言うんじゃないかって、そればっかり考えてるんス。」
        「言いません。この間のことはいつも以上に甘噛みが過ぎただけでしょう。
         キミは甘やかすのは得意だけど、本気で甘えるのは下手みたいですから。」
        「どうしてそんなに優しくできるんスか。俺、おかしいよね。自分でも分かってるけど。」
        「今の僕はとても幸せなんです、それだけ信じてくれればいいんですが。難しいですか?」
        シャワーの水流を止め、黒子の濡れた背中を服を着たまま構わずに抱き締める。
        怖くてたまらなかった。黒子のいない明日が怖い、もう二度とあんな絶望的な気分を味わいたくはない。
        腕の中で窮屈そうに身をひねり、黒子が首を回して顔を寄せてくる。
        「根気よく行くんで、あまり独りで考え込まないでください。キミは明るく笑ってた方がいいですよ。」
        黒子が好きだ。大好きだ。こんなにも愛しいのに、心の底から信じられないなんていい加減自分にうんざりしている。
        髪に顔を埋めて吸い込む匂い、直に伝わる体温や肌の感触、抱き込んだ身体の輪郭何もかも
        あの頃に知れれば素直に愛せたかもしれない。嫌な思い出を上書きして、跡形もなく消してしまえればいいのに。
        いつか、複雑にからんでしまった感情の糸をほどいて、まっすぐな気持ちを黒子へ向けられればいいのに。

        胸の空白に巣食ったこの醜悪な感情は他の何物にも向かず、きっと一生彼にだけ向けられるものになるだろう。
        今信じられるのはそれくらいだ。また逃げられたら困るから、秘密だけれど。